さいたま市内 古墳巡り

近くの五反田会館のイベントで、さいたま市の古墳巡りに参加した。大宮駅西口からバスで10分ほどの所に古墳群があるとは知らなかった。ひとつは大宮市立西高校の校内にある稲荷塚古墳。市内に残る古墳の中で、直径35メートル、高さ5.9メートルと最も大きな円墳です。過去の調査で、古墳の周りを廻る馬蹄形の溝から勾玉や大量の円筒埴輪、また校庭から円筒埴輪や人物埴輪、刀などが出土しており、6世紀中頃の築造と考えられているそうだ。
 近くの鴨川沿いに縄文時代東京湾の大地であった所を歩いて、住宅地になっている茶臼塚古墳、台耕地稲荷塚古墳、上之稲荷古墳などを巡った。鴨川土手の桜が数輪ほど咲いていた。穏やかな晴天に恵まれての古墳巡り、桜が咲いていればもっと楽しめたのにとちょっと残念であった。11,000歩あまり久しぶりのウォーキングちょっとしんどかった。もっと歩かねばと思った。

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 縄文時代の奥東京湾さいたま市の地図、古墳巡りのウォーキングマップを添付しました。画面を拡大すると、中央の下部分が浦和、番号3が中川地区、その右側が我住まいがある場所です。

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仁徳天皇陵参拝

世界一、最大規模の墓としての仁徳天皇陵だが、関西に住んでいた時に行ってなかった。今回、大姪の結婚式で高松に行った帰りに行ってみた。もちろんこの前方後円墳全体を眺めることはできない。鳥居の前で遥拝し、頭の中で前方後円墳の形を想像するしかない。
 小中学生の時には仁徳天皇陵と習ったが、歴史学、考古学上は特定できていないようだ。そんなわけで、今は大仙陵古墳だいせんりょうこふん)または大山古墳の古墳も行きたかったが 、時間がなく行けなかった。
 大山古墳、宮内庁により「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」として第16代仁徳天皇の陵に治定されている。名称は「仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」や「仁徳陵古墳」ともいわれている。
 全国で第1位の規模の巨大古墳であり、同古墳を擁する堺市は、クフ王ピラミッド及び秦の始皇帝墓陵に並ぶ「世界三大墳墓」と称している。
 日本人として世界一の墳墓行ってないというのが引っかかっていたが、今回実現できてよかった。(3月13日)

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大鳥大社(大鳥神社)参拝

   高松での大姪の結婚式に参加した後、京都の姉のところに一泊した。関西の史跡に行きたいと、仁徳天皇陵の近く(阪奈線鳳駅)の大鳥大社に足を延ばした。
 
 最近、家人が一宮神社に関心を持ち、和泉国一宮の大鳥神社行ってみたというのでに行ってきた。「大鳥大明神(おおとりだいみょうじん)」や「大鳥大神宮(おおとりのおおがみのみや)」などとも称された。現在の正式な社名は「大鳥神社(おおとりじんじゃ)」であるが、一般には「大鳥大社」の社名の方が広く使用されているそうだ。
 
 祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)の二神。
 日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去する。遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。これが大鳥神社の始まりだとされる。神域は千種森(ちぐさのもり)と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。
 本殿は大鳥造といい、「切妻造・妻入社殿」という出雲大社造に次ぐ古形式を保っている。日本武尊を守護神として信仰していたが、「おとりさま」と称されて開運・商売繁盛の神と信仰され、11月酉の日には熊手の酉の市が開かれるという。
 なかなか風格のある神社だった。

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高松 栗林公園(2017-3-12)

大姪の結婚式で高松に行った翌日、栗林公園(りつりんこうえん)に寄った。この公園は香川県高松市にある県立の都市公園(歴史公園)、日本庭園である。国の特別名勝に指定されている。2009年3月16日発売の『ミシュラン観光ガイド』に「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価3つ星に選定された。高松歴史文化道に指定。また2012年には、アメリカの庭園専門誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』の「2011年日本庭園ランキング」にて、足立美術館島根県)、桂離宮京都府)に続く3位を獲得しているという。ゆっくりと回る時間がなかったのが残念だったが、ガイドの方が要領よく説明してくれた。庭園が見事だった。機会があれば桜の時期にまた行って見たいと思った。

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大石神社

2017京都駅から醍醐の姉の家に向かう途中、ふと見ると、大石神社とある。えっ! あの大石内蔵助の神社かと、タクシーを止めてもらって、ちょっと立ち寄り、参拝した。
 この大石神社は昭和十年赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため大石内蔵助良雄公をご祭神として、大石隠棲の地に京都府知事を会長とする大石神社建設 会、山科義士会、また、当時浪曲界の重鎮であった吉田大和之丞 (奈良丸) を会長とするもの等の団体が組織され、全国の崇敬者により創建されたという。
 元禄十四年、赤穂藩浅野内匠頭長矩が江戸城内松の廊下において、吉良上野介義央に対し刃傷におよび、内匠頭は即日切腹、御家断絶、領地没収となった。
 赤穂藩城代家老大石内蔵助良雄は城明け渡しの後、六月二十八日、以前からこの付近の田地、屋敷を持っていた親類の進藤源四郎の世話でこの地に移った。閑静で人目につきにくく、かつ交通に便利で、事件の善後策を講じるのに何かと便利であり、この地でしばしば同志の会合を開いた。また、敵の目を欺くため、伏見撞木町、祇園一力亭などで遊興にふけった。はじめは、はやる同志をおさえて、亡主内匠頭の弟大学長広をたてて主家の再興を謀った。しかし、翌、元禄十五年夏、結局再興は許されず、吉良邸討入りに方針を固め、江戸に集結する前まで、この地に隠棲していたという。
 吉田松陰菅原道真徳川家康明治天皇乃木希典等々、日本は多くの偉人?が神になって?神社に祀られている。外国人から見るといかにも”不思議な国ニッポン”なのだろう。これも八百万イズムなのではないか。
 大石神社があることを初めて知った!

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禅を聴く会

毎年、この時期に開催される、曹洞宗関東管区強化センター主催の「禅を聴く会」に行ってきた。今回は奈良県教恩寺住職の女性シンガーソングライターでもある”やなせなな”さんの、トーク&コンサートと、京都府竜宝寺前住職の曹洞宗僧侶、中野東禅さんのお話。

 やなせさんは、東日本大震災の被災地をたくさん回り、各地でチャリティーコンサートや浄土真宗の僧侶としても活動しており、歌声だけでなく、トークにも心にしみるものがあった。
 中野東禅さんは住職としてだけでなく、駒沢大、大正大、武蔵野大などで、「死生学」「ホスピス論」「仏教生命倫理」などの講義をしてきたという。その為か、今までの僧侶、仏教学者とは一味違ったユーモアあふれる話が面白かった。
 今日のテーマは「人間学としてのブッダの智 ~数で教える生き方」と題して、道元正法眼蔵などから引用しつつ、浄三業、念三法、四無量心、四法印など分かりやすい話を聴くことができた。
 帰りに販売されていた東禅さんの、「仏教の生き死に学」という本が面白そうだったので買って帰った。

 

 

YOSHIKIカーネギーホールコンサート&XJapanロンドンコンサート

長男に、WOWOWのでの録画を頼まれて二つのコンサートを見た。長男が若い時からXJapanが好きだったので、私も何となく今まで聞いてきた。カーネギーホールでの演奏は東京フィルハーモニー交響楽団を引き連れてのソロ演奏。素晴らしいピアノ演奏だった。

 あらためて、ウィキペディアで調べると、彼の今迄の音楽活動や生き様が分かった。多彩な才能を活かし、作曲活動や、社会貢献活動をして世界中にファンが大勢いることも分かった! ベートーベンの月光などクラシックの演奏も素晴らしかった。演奏の合間の語りにも、彼のフィロソフィーを感じられて、素晴らしいコンサートだった。一緒に見ていた家人もいっぺんにファンになってしまった!