長男新居への引っ越し

<長男新居へ引っ越し>
長男夫婦が待望の新居に引っ越しをした。閑静な住宅地のこじんまりしたいい家だ。我が家から車で7,8分、スープの冷めない距離だ。長男の嫁さんと、家内にとってはうれしいのではなかろうか。自転車でもそう遠くない。今日は嫁さんのご両親も新居に来てくれて、久しぶりの楽しい再会だった。
 引っ越しの手伝いの際に、我が達磨絵がダンボールと一緒に捨てられないように、私が飾った!

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100分で名著 三木清「人生論ノート」

食後、プロ野球を見ていたら、リビングで別のテレビを見ていた家人が、100分で名著を一緒に見ないかと言う。何かと思ったら、三木清の「人生論ノート」だという。どういう風の吹き回しか! 三木清と言われれば見ないわけにいかない。
 今若い人たちの間で関心が高まり、本も重版を重ね売れているようだ。なぜ、いま三木清が読まれているのか分かったような、分からんような? 
 テレビを見た後、本棚から、三木清全集を取り出し、「人生論ノート」「パスカルにおける人間の研究」「親鸞」を読み直そうと取り出した。初めて読んだのは小生24歳の時、ところどころ傍線を引いているが、当時どの程度理解できていたのかわからない。今読んでも難しい。若気の至りで、分かったつもりになっていたのかもしれない。
 青春?に戻って、読み返してみようと思う。 

さいたま 花見三昧

さいたま市花見三昧

先日行った稲荷塚古墳の近くの鴨川沿いの桜、みずもに映る桜とショカッサイの紫が綺麗だった。与野公園の桜、大崎公園の陽光桜、見沼の桜などを堪能して来た。どこも、車で二三十分の距離、駐車場もそれほど混んでなく、人出が少なくゆったりとした鑑賞ができるのがいい!
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さいたま市内 古墳巡り

近くの五反田会館のイベントで、さいたま市の古墳巡りに参加した。大宮駅西口からバスで10分ほどの所に古墳群があるとは知らなかった。ひとつは大宮市立西高校の校内にある稲荷塚古墳。市内に残る古墳の中で、直径35メートル、高さ5.9メートルと最も大きな円墳です。過去の調査で、古墳の周りを廻る馬蹄形の溝から勾玉や大量の円筒埴輪、また校庭から円筒埴輪や人物埴輪、刀などが出土しており、6世紀中頃の築造と考えられているそうだ。
 近くの鴨川沿いに縄文時代東京湾の大地であった所を歩いて、住宅地になっている茶臼塚古墳、台耕地稲荷塚古墳、上之稲荷古墳などを巡った。鴨川土手の桜が数輪ほど咲いていた。穏やかな晴天に恵まれての古墳巡り、桜が咲いていればもっと楽しめたのにとちょっと残念であった。11,000歩あまり久しぶりのウォーキングちょっとしんどかった。もっと歩かねばと思った。

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 縄文時代の奥東京湾さいたま市の地図、古墳巡りのウォーキングマップを添付しました。画面を拡大すると、中央の下部分が浦和、番号3が中川地区、その右側が我住まいがある場所です。

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仁徳天皇陵参拝

世界一、最大規模の墓としての仁徳天皇陵だが、関西に住んでいた時に行ってなかった。今回、大姪の結婚式で高松に行った帰りに行ってみた。もちろんこの前方後円墳全体を眺めることはできない。鳥居の前で遥拝し、頭の中で前方後円墳の形を想像するしかない。
 小中学生の時には仁徳天皇陵と習ったが、歴史学、考古学上は特定できていないようだ。そんなわけで、今は大仙陵古墳だいせんりょうこふん)または大山古墳の古墳も行きたかったが 、時間がなく行けなかった。
 大山古墳、宮内庁により「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」として第16代仁徳天皇の陵に治定されている。名称は「仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」や「仁徳陵古墳」ともいわれている。
 全国で第1位の規模の巨大古墳であり、同古墳を擁する堺市は、クフ王ピラミッド及び秦の始皇帝墓陵に並ぶ「世界三大墳墓」と称している。
 日本人として世界一の墳墓行ってないというのが引っかかっていたが、今回実現できてよかった。(3月13日)

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大鳥大社(大鳥神社)参拝

   高松での大姪の結婚式に参加した後、京都の姉のところに一泊した。関西の史跡に行きたいと、仁徳天皇陵の近く(阪奈線鳳駅)の大鳥大社に足を延ばした。
 
 最近、家人が一宮神社に関心を持ち、和泉国一宮の大鳥神社行ってみたというのでに行ってきた。「大鳥大明神(おおとりだいみょうじん)」や「大鳥大神宮(おおとりのおおがみのみや)」などとも称された。現在の正式な社名は「大鳥神社(おおとりじんじゃ)」であるが、一般には「大鳥大社」の社名の方が広く使用されているそうだ。
 
 祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)の二神。
 日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去する。遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。これが大鳥神社の始まりだとされる。神域は千種森(ちぐさのもり)と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。
 本殿は大鳥造といい、「切妻造・妻入社殿」という出雲大社造に次ぐ古形式を保っている。日本武尊を守護神として信仰していたが、「おとりさま」と称されて開運・商売繁盛の神と信仰され、11月酉の日には熊手の酉の市が開かれるという。
 なかなか風格のある神社だった。

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