〈ケーシー高峰さん死去〉
先日亡くなった京マチ子さんと同じ歳85歳でケーシー高峰さんが亡くなった。笑点出場回数3番目に多かったそうだ。笑点に出るときは毎回見ていた。ユニークな医事漫談が面白かった。そのケーシーさん、家族がほとんど医者という環境の中で医学部に進学したが、性に合わなかったのか、芸術学部に転学し、俳優、漫才等をした後、白衣を着て漫談をやる事をひらめいたという。
ケーシーはベン・ケーシーから、高峰はファンだった高峰秀子からとったという。
白板を使っての、独特の下ねただったが、なぜかカラッとしていて面白かった。
あの芸がもう見られないかと思うと残念だった❗
数学を読む 岡潔「数学する人生」、森田真生「数学する身体」その2
森田真生はこの「数学する身体」で最年少で小林秀雄賞を受賞したまだ34歳の若き俊英だ。
「数学する身体」という本、新潮文庫で227頁程の薄い本だが、読み応えのある本だった。
一応できの悪い工学部卒の小生ではあったが、学生時代にはデーデキントの「数について」、ベルヌーイ、ガウス、オイラーの公式、カントールの「集合論」、フーリエ級数などなど、。数学は小学校時代から好きだった。そんなわけで、そこそこは勉強してきた。卒業後も仕事に関係なくても数学関係の本は多少読み続けていた。
この本はちょっとした数学史にもなっており、暗号機エニグマを解読したチューリングと岡潔の比較なども面白い。また、岡潔は芭蕉を深く読み込まれ、芭蕉の句は「生きた自然の一片がそのままとらえられている」「一片をとらえてそのまま五七五の句形に結晶させた」として、「ほろほろと山吹散るか滝の音」を取り上げている。凡人Henryにはその"情緒"の深さは分からない。
"心には本来彩りや輝きや動きがある"そういったものが情緒であり、情緒は情の緒(いとぐち)であり。「自他の間を行き交う"情"が個々の人や物の上に宿ったとき、それが情緒となる。」と岡潔は情緒を説明している。
岡潔に関する2冊の本を読んで、「日本のこころ」「春宵十話」が読みたくなった。
改めて、岡潔は偉大なる、数学者であるとともに、哲学者、禅僧だと思った。
《数学を読む 岡潔「数学する人生」、森田真生「数学する身体」その1》
森田真生の「数学する身体」という本が書店に並び、気になってはいたが読んではいなかった。そうこうするうちに、岡潔の「数学する人生」(岡潔著、森田真生編)が目に止まり読んでみた。
岡潔は若いときに、「春宵十話」「春風夏雨」などを読んで感動したことがある。数学のことよりも、彼の世界観に感銘を受けた記憶がある。その後、小林秀雄との対談「人間の建設」などを読み、すごい人だったんだなと改めて思った。
「数学する人生」は、岡潔の「日本のこころ」という本を読んで数学の世界に惹かれ、東大文学部から工学部に移り、卒業後理学部数学科に学士入学したという森田真生が、編集したものである。
「数学する人生」は岡潔の京都産業大学での「最終講義」、フランスでの「学んだ日々」、「情緒とはなにか」「数学と人生」などが書かれている。今まで、知らなかった岡潔の数学する姿や、俳句や仏教について、芭蕉、道元、念仏についても語っているところが興味深かった。仏教にいついては華厳経、理趣経、道元の正法眼蔵などを深く読み込まれている。また、俳句についても、芭蕉だけでなく多くの俳人の句も読み込まれていて、あの中谷宇吉郎と連句をしたというのも驚きであった。
岡潔の「多変数解析関数」に関する論文などの発表がそういった日本の文化、宗教(特に仏教)、日本の"情緒"をベースにして生まれたものだったのだということも今回の驚きであった。
改めて凄い数学者であるとともに、哲学者でもあったと思った。