「隠れ念仏と隠し念仏」

 五木寛之 こころの新書シリーズを読む。

 講談社から五木寛之が“こころの新書シリーズ”として5,6冊を同時発売している。ちょっと書きすぎではないかと思うがそれだけ五木ファンが多いということなのだろう。しばらく五木さんの本は読んでいなかったが、「気の発見」を読んでから、この「こころの新書シリーズ」を店頭で見たら読んでみたくなったので、「仏教のこころ」「情の力」「隠れ念仏隠し念仏」と、立て続けに読んだ。どれもすんなりと読める。ただ、「隠れ念仏隠し念仏」は読み応えがあった。隠れ念仏についてはだいぶ以前に五木さんの「日本幻論」の中で書かれていたので知っていたが、この本では“隠れ念仏”を更に詳しく取り上げていると同時に、東北地方の“隠し念仏”というものも取り上げていることが勉強になった。

 東北の“隠し念仏”については、柳田国男の東野物語や宮沢賢治などに触れて東北文化論にもなっているところが面白く、かつ考えさせられた。

以下はamazonでの出版社、著者からの内容紹介です。
 知られざる日本人の熱い信仰を探る!
列島の南から北をめぐり、日本人のこころ深層に迫る。
九州の薩摩藩人吉藩では、かつて一向宗が禁じられ、300年もの間、強烈な弾圧が行われた。その嵐に耐えて守り抜かれた信仰、それが「隠れ念仏」である。東北には、信仰を表に出さず、まるで秘密結社のように守りつづけた人びとがいる。取り締まりを受けながらも、「隠す」ことで結束した信仰、それが「隠し念仏」である。<著者のことば>
 日本の歴史をふり返るとき、私たちはどうしても為政者の歴史だけを見てしまいがちです。しかし、極度の貧しさと苦しさのなかで、自らの命を犠牲にして信仰の仲間を守るとか、あくまで信仰を捨てずに殉教するというような、知られざる庶民の歴史もあるのです。それを日本人のこころの歴史の<記憶>として、大切に残していかなければいけないのではないでしょうか。