曼殊院、金福寺


 関西の友人3人と京都の古寺を回った。今までに行ったことのなかった洛北の曼殊院は平日の午後で観光客もほとんどいない。紅葉の頃は庭園が綺麗で訪れる人も多いという。詩仙堂まで歩き、そこから、村上たか女が隠棲した金福寺に行く。村上たか女という名前は何となく聞いたことがあった。しかし、井伊直弼の愛妾、後に長野主膳の妾という2人との契り、そして美貌の密偵として、「安政の大獄」に加担した罪を問われ、三条河原に「生き晒し」という、地獄の責めにあったあと、奇跡的に救い出され、最期は一乗寺に在する当時は荒れていた「金福寺」を終の住処とし、「弁天堂」を建立している、ということまでは全く知らなかった。
  別の関西の友人Tさんが日経の夕刊に「奸婦にあらず」という連載小説が載っており、村上たか女を主人公にして書いたものだと紹介してくれた。文章が美しいので是非読んでみるようにと勧められた。あいにくと新聞の連載は7月の中旬で終わっている。いずれ単行本で出版されたらば読んでみたい。

 弁財天の申し子と言われ、才色兼備の女傑であったそうである。情感豊か、繊細でありながら意志の強かったであろう女間者、たか女の姿を想像たくましくすると、Henry好みのあやしげな妙齢;弁天さま?に思えてくる。
 覚えていなかったが、舟橋聖一の小説「花の生涯」が村上たか女を詳しく取り上げ、「花の生涯」は大河ドラマや映画化もされていた。ビデオで見てみたいと思う。

 この金福寺はまた、俳句にゆかりの深い寺で、蕪村の墓があることも知らなかった。もとは貞観6年(864年)、安恵(あんね)僧都が天台の慈覚大師円仁の遺志により創建した寺であったが、江戸時代の元禄年間に鉄舟和尚が再興し、臨済宗南禅寺派の寺となった。和尚が松尾芭蕉と親交があり、芭蕉がたびたび訪れていた庵を芭蕉庵と名づけたが、和尚の死後荒廃したらしい。現在芭蕉庵と呼ばれているのは、その80年後に訪れた蕪村が再興したものだという。


 金福寺からの坂道を下ったところで、一乗寺宮本武蔵の見返りの松を見て、三条の会食場所へと向かった。梅雨の合間で暑い一日の、のんびりした古寺巡礼、汗の後の生ビールが格別にうまかった。
 ということで、予備知識、予習なしで訪れて、あとからインターネット検索して復習して書いてみました。