“猫も杓子も”

“猫も杓子も”
“猫も杓子も”という言葉はそれこそ“猫も杓子も”ご存知で、“誰でも彼でも”という意味だ。しかし、どうして「猫」と「杓子」なのか考えたことがなかった。
 以前読んだ玄侑宗久さんの「釈迦に説法」(新潮新書)のなかにこの言葉の語源は「禰子(ねこ:神道の信者)、釈子(しゃくし:仏教徒)」という説明があった。
 今、神道や、神仏習合などの関係の本を読んでいるせいか、この
「禰子(ねこ)も釈子(しゃくし)も」という言葉がより納得がいった。

 ところでこの玄侑宗久さんは1956年生まれの若手?の素晴らしい坊さんだ。寺の生まれだが、慶応の文学部で中国文学を専攻した後、いろいろなアルバイト、仕事をした後、仏門修行をし、寺に戻ったようだ。
 玄侑さんの本は「釈迦に説法」「禅的生活」など数冊を呼んでいたけど、小説も書いていることを知らなかった。「アミターバ」という小説をよんだが、このお坊さん「中陰の花」という小説で芥川賞を取っていたことも知らなかった。
 国語が小中高と嫌いで苦手だったHenryにとっては、小説はどうもまどろっこしくてほとんど読まない。最近読んだ小説は「ダビンチ・コード」「阿弥陀堂だより」と「博士の愛した数式」くらいなものだ。
 友人や家人からはHenryは小理屈をならべた本ばかり読まないで小説を読まなくてはいけないと忠告される。
 「中陰の花」他、玄侑宗久さんのほかの小説も面白そうなので読んで見ようと思っている。