植木等を偲ぶ、

 植木等の追悼番組をやっていた。先日亡くなった青島幸男が作詞したスーダラ節は一世を風靡した。私がサラリーマンになりたての頃、昭和40年代が全盛期だったのだろうか。TV、映画で活躍していた。自分の新人時代も気楽な稼業ではなかったけれど、植木等の歌にはむしろ元気づけられた。
 植木等が寺の出ということは知っていたが、お父さんがクリスチャンから浄土真宗に宗旨替えして、戦前戦後を通じて、社会運動もしていた方だとは、この番組を見るまで知らなかった。たくさんの映画を共演したという浜美枝が、追悼番組の中で、坊さんになっていたら大僧正、学校の先生になったら素晴らしい教育者になっていたと思うと語ったことが印象深かった。
 少し前になるが、同じクレージーキャッツハナ肇ドリフターズいかりや長介など、わが青春時代のエンターテイナーが亡くなっていくのは寂しい。
 人間には笑いが必要なのだが、歳のせいか、はたまた、TVのせいか、素直に楽しみながら笑える番組がほとんどなくなった。意識的に見るお笑い番組は「笑点」くらいだろうか。ラジオの笑いのほうが上質だと思うこのごろだ。ただ、映像、動き、表情の面白さからくる笑いはTVでないと味わえない。あまり見ていないので、無責任なことは言えませんが、最近のTVのお笑いはトークも動きも、表情も品が無くなって、深みも感じられない。
 クレージーキャッツドリフターズで育った、団塊世代も今年定年を迎える。植木等の追悼番組を見て、昔見た映像とその時代を思い出しながら、そろそろ、TV界も高齢化向け、シニア世代向けのお笑い番組を考えてもらいたいものだと思った。