「忘れられた日本人」(宮本常一:岩波文庫)

 わがブログにコメントをいただいているtnkさんのお勧めや、松岡正剛やいろいろな方が言及している宮本常一の「忘れられた日本人」を読み終えた。宮本常一の本はこれが初めてだった。
 読み終えて、こういう本だったのか、こんな本があったのかという思いが強かった。次は「塩の道」を読んでみようと思う。
 明治から昭和初期の日本、中には江戸時代生まれの古老の話を聞き取り、書き留めたものだ。
 “忘れられた”というより、“忘れてはいけない”日本人の姿の記録だと思う。30代の息子たちが読んだらどう感じるだろうか。これホントに数十年前の日本のこと?と思うのではないだろうか。 6人兄弟の5番目、昭和19年生まれのHenryには明治生まれの祖母、父や、9歳年上の長姉がいるので“忘れられた日本人”の世界は幼心の記憶に多少は残っている。
 宮本常一の綴った「忘れられた日本人」、「土佐源氏」の話はとても面白かった。網野善彦松岡正剛も指摘しているように、無字社会、読み書きのできない農民の記憶、口承による、記憶の文化の伝承の素晴らしさを感じた。一方、読み書きのできない農民の中にあって、文字をもつ、文字の読み書きのできる伝承者が時代を切り開いていったことも書かれている。
 “無字社会”を読みながら、親鸞の三帖和讃の「よしあしの文字を知らぬ人はみな、まことのこころなりけるを、善悪の字知りがほに、おおそらごとのかたちなり」という一節を思い出した。とかく文字をなまじ多少知ってしまった現代人(私もその一人だろう)は理屈先行で、心のある実践がなかなか伴わないのではなかろうか。 宮本常一がこの本の中で書いている「文字をもつ伝承者」は“善悪の字知りがほに、おおそらごと”を行うのではなく“よしあしの文字を知って”それを、民衆(常民)の世界で農村、農民の世界の改革を推進した人を描いている。
 この本をどのくらいの若者が読むのか心もとないが、amazonのレビュー記事に何人かの若者が現代との比較論を書いているのが面白かった。と同時にこういう本を読んでいる若者がいることを知って多少安心もした。
 しかし、昨今は、明治は言うまでもなく、昭和も遠くなりにけりの世の中になっている。こういう時代になったからこそ、“忘れられた”、“失われた”日本の姿について語ってくれている「忘れられた日本人」という本、世界があることを、それこそ“伝承者”として伝えていかなくてはならないこと痛感した。
 ぜひご一読をお勧めしたいと思うとともに、一人でも多く「忘れられた日本の良い姿」の伝承者になっていただきたいと思った次第です。
<追記>
 NHK BSの五木寛之の「仏教の旅 ブータン」を観て、“失われた良き時代の日本の姿”がここブータンには残っていることを感じた。ブータンの人々、子供、老人、少年僧、どの顔もすがすがしく凛として明るかったことが印象深かった。江戸時代、明治時代に日本に来た外国人が当時の日本に見たものは、今は忘れられた日本の姿だったのかもしれない。

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松岡正剛の解説は以下のURLでご覧ください。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0239.html

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

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