「美女と野獣」とジャン・コクトー

 9歳年上で今年72になる姉に、20数年ぶりに我が家にあそびに来てもらった。年に何度かは東京で会っているのだが、家に来てもらうのは久しぶりだった。姉と義兄には、私の高3から大学を卒業するまでの間、居候をさせてもらい大変お世話になった。
 この姉、いまだに、3時起きで、義理の兄と一緒に魚河岸の海老問屋をやっている。姉が若いときに好きだったフランスの男優、ジャン・マレーの「美女と野獣」が見たいというので、500円のDVDを買って一緒に見ながら、色々と話が弾んだ。姉がジャンマレーが好きだったことは小さいときから知っていたが、どんな俳優か、どんな映画に出ているのか、映画も見たことがなかったので知らなかった。
 「美女と野獣」ちょっと変わったストーリーだが、監督のジャンコクトーが何を言わんとしているのかちょっとわからないところもある。しかし、この映画が作られたのが1946年、私が2歳の時だったことを思うと、驚く。
 ジャンマレーはフランスの男優で彫りの深い顔と甘いマスクで、当時の女性たちを魅了したようだ。監督のジャンコクトーに出会ってから一躍ブレイクしたようだ。
 ジャンコクトーはどんな人か知らなかったが、調べてみてびっくりした。映画監督というより、前衛芸術家で(作家、詩人、劇作家として著名であるだけでなく、画家や脚本家、映画監督としての活動も行った)、自身は中でも「詩人」と呼ばれることを望んだという。付き合った人たちも、マルセル・プルーストストラヴィンスキー、サティ、ピカソ、ラディゲ、エディット・ピアフ等々、多士済々だ。又、ホモでもあったようで、ジャン・マレーは恋人?だったようだ。詳しくは『ウィキペディアWikipedia)』(http://ja.wikipedia.org/wiki)他、インターネットで調べてください。
 日本でも、澁澤龍彦、三島由起夫ほか、色々な芸術家に多大な影響を与えた。上記のようなことが、姉と家人の会話や、話をしながらインターネットを検索したりして、色々なことがわかった。Unchiku Henryは、澁澤龍彦のものは何も読んだことがなく、何も知らなかった。
 松岡正剛の「千夜千冊」の中で、澁澤龍彦の「白書」について書かれている。これもなかなか面白かった。
 「美女と野獣」から、ジャンコクトー澁澤龍彦に興味がわき、「双頭の鷲」などジャンコクトーの他の映画を見たり、彼らの書いたものを読んでみたくなった。