「ジャズで踊ってリキュルで更けて」“昭和不良伝 西條八十”(斎藤憐:岩波書店)

 西條八十という名前は、昭和の歌謡曲の作詞者としてあちこちに出てくる。さきに阿久悠の本を読んで、昭和の作詞者、西條八十にも興味が出てきた。たまたま図書館で、短歌、詩のコーナーを見ていたら「ジャズで踊ってリキュルで更けて」という背表紙が目にとまった。このセリフとメロディーはすぐ思い出したが、なんという曲名だったか思い出せない。阿久悠の言葉ではないが、西條八十がどういう時代背景でどういう気持ちで詩を作ったのか知りたくなって読んでみた。
 読んでみて驚いた。阿久悠もたくさんの作詞をしたが、こんなにたくさんのヒット曲を作ったとは読むまで知らなかった。
 この本のことは、amazonのデータベースに、『「東京行進曲」「東京音頭」「サーカスの唄」「誰か故郷を想わざる」「同期の桜」「蘇州夜曲」「青い山脈」「トンコ節」「王将」…純粋詩と流行歌、フランス文学科教授と株屋。天才か凡俗の巨人か、大きな振幅を描いた西条八十の生涯にからむ五人の男たち―野口雨情、中山晋平サトウ・ハチロー古賀政男服部良一。名もなき人びとの哀感を歌い、時代と共に泣いた、「唄の伝記」―昭和への鎮魂歌。』と紹介されている。
 サトウ・ハチロウは八十のどうしようもない弟子だったとか、金子みすゞは八十が見出したという話、作曲家、作詞家の裏話等も面白い。
 八十の作詞ではないが、「青い目の人形」「長崎の鐘」「ああ、モンテンルパの夜は更けて」など、歌にまつわる秘話など、感動させてくれる話も多い。まさに歌謡曲を通じての昭和史になっている。著者は斎藤憐という1940年生まれの劇作家で「上海バンスキング」他を上演している。
 斎藤憐の目と感性を通して、八十の不良ぶりと、その作詞を通じての時代の政治状況を批評している。また、八十の歌、八十の時代だけでなく、その後の歌謡史にも言及し、現代の時代批評になっているところも面白い。
 八十の歌は戦前、戦後に作られたものが多いが、なぜか当時3,4歳だった私もほとんどの曲の歌詞とメロディーを覚えている。戦後、まだ娯楽のない時代に、ラジオから流れ、親兄弟が歌ったり、その後の“懐かしの歌謡曲”などで歌われることが多かったので覚えているのだろう。
 標題の歌詞は以下の「東京行進曲」の中の一節。

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東京行進曲
「東京行進曲」
西條八十作詞・中山晋平作曲/昭和4年

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昔恋しい 銀座の柳
仇(あだ)な年増(としま)を 誰が知ろ
ジャズで踊って リキュルで更けて
あけりゃダンサーの 涙雨

恋の丸ビル あの窓あたり
泣いて文(ふみ)かく 人もある
ラッシュアワーに 拾ったばらを
せめてあの娘(こ)の 思い出に

広い東京 恋ゆえせまい
いきな浅草 忍び逢い
あなた地下鉄 私はバスよ
恋のストップ ままならぬ

シネマ見ましょうか お茶のみましょうか
いっそ小田急(おだきゅ)で 逃げましょうか
変る新宿 あの武蔵野の
月もデパートの 屋根に出る

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 この曲の4番に思想的な理由でクレームがつき、「シネマ見ましょかお茶のみましょか いっそ小田急で逃げましょか」とさらさらと直したのが当時の小田原急行電鉄を「駆け落ち電車ではない」「オダキュー」との短縮は何事ぞとお冠にさせたのに、その後の唄の流行と、「ロマンスカー」を走らせたこともあり、八十夫妻に無料パスを送ったというエピソードも語られている。
 曲がつくられたのが昭和4年、東京の丸ビルが建ち、「オダキュー」もすでに走っていたわけだ。それから約80年、丸ビルは新丸ビルになった。
 我々は歴史の授業で現代史というものはほとんどならって来ていない。せいぜい第二次世界大戦までで大衆、民衆の歴史はほとんど知らない。親兄弟から聞くことがほとんどだったと思う。

“仇な年増を 誰が知ろ
ジャズで踊って リキュルで更けて
あけりゃダンサーの 涙雨”
 “仇な年増”、“ダンサーの 涙雨”

 西條八十がどういう時代背景の中で、これらの言葉にどんな意味を込めたのかが理解できた。同時に、この本から、知らなかった昭和史を多く教えられた。
 歌・歌謡曲に興味のある方、昭和を読みなおしてみたいと思われる方にはお勧めの一冊です。
 あとがきにあった、「流行り歌は日本人の宗教であり、精神科医である」にはさもありなんと思った。

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以下のFlying Dutchsanというブログでこの本を的確に紹介しています。
http://dutch.cocolog-nifty.com/blog/2004/11/post_4.html