[机草子]おシめさまの、おヒめ!?:日本語の歴史

 私は江戸っ子ではない。江戸川を越えた、江戸の隣、市川に生まれ育った。高校時代は越境して都立高校で学んだ。そんなわけで、小さい時から、シとヒがうまく言えない。私の名前は「ひろし」です。自分の名前はシロシ(ヒ)ではなく、ちゃんとヒロシと言える。
 しかし、お姫様がオシメになったり、オシメがお姫にひっくり返ってしまう。発音ができないわけではないが、無意識にしゃべるときには、ヒとすべきところがシとなってしまうことが多い。また、意識しすぎると、表彰状や商品券などを読むときに、ショウヒョウジョウとか、ヒョウシンケン、てな具合に、シとヒがひっくり返ってしまう。WORDの変換でも、シとヒを間違えて入力してしまったことに気がつかず、漢字変換が正しく出て来ないで、戸惑うことがよくある。
 昔から、江戸っ子は「ヒ」という発音ができず「シ」になってしまうと聞いていた。“江戸っ子“という言葉には、なんとなく粋な響きがあると勝手に思っている。江戸っ子と思われるのは悪い気がしネーので、シとヒがうまく言えネーでも、かまわネーと思ってきた。 しかし、なぜ、江戸っ子は言えネーのかということを考(カンゲ)ーたコターなかった。つい最近、「日本語の歴史」(岩波新書:出口仲美)を読んで、その何故が氷解した。
 江戸時代はシとヒをよく混同していたという。なぜ混同するのか。それは、江戸時代には、両方の音が現在よりも近かったという。奈良時代の、ハ行の子音は現在のパ行子音[p]と同じであったと考えられ、ハ行子音は[p]→[Φ(ph)]→[h]と変化してしてきた。つまり、室町時代以前のヒ[Φi]の音は、シ[∫i(shi)]の音とはかなり異なっていたのだが、江戸時代が過渡期でヒとシが近い発音になっていた。それから、現在のようにヒとシが区別されるようになったという。
 これで納得した。以前、新宿の末広亭に落語を聞きに行った時、落語家の「シ」が気になって、注意して聴いていたら、ほとんどすべて、ヒをシと発音していた。注意深く聞くと、ヒがちょっと混ざった「シ」のように聞こえる。しかし、関西人がシとヒを間違えるのを聞いたことがない。なぜ、江戸(東京)それも下町(=江戸っ子の間)で、この混同(方言?)が残ったのか。都が京都から江戸に移って、関西の公家、武士、町人が江戸語に対抗し、また、関東のベー、べー言葉などを「関東ベー」などと言って馬鹿にしたというようなことがあったようだ。そういえば、私が40歳で大阪に転勤したときに、言葉の違いに抵抗感を抱いた上司、部下が多かった。「味噌汁で顔洗って来い!」と言ったら、「面白い表現しますね。どういう意味ですか」と聞かれたことがある。「へー、大阪じゃこういう言い方しないの」といったら、はじめて聞いたという。所変われば、言葉変わるでした。
 ともかく、これで、シとヒの混同に、言語学的、歴史的説明がついたわけだ。これからは、間違えてもかまわネー、気にしネーでしゃべろう!
 かまわ「ネー」など、乱暴な言葉を使いましたが、この「ネー」も「アイ」が「エー」に変わる、「アエ」が「エー」に変わる、などの言葉が、江戸時代の町人階級の間で使われてきたという。この本の中で、このような日本語の関する面白い考察がされている。ご興味のある方は、ご一読をお勧めします。