日本語にもリエゾンがあらーね

 デーク=大工、ショーベー=商売、ナゲー=長い、のように[ai]と母音が続くと、[e:]とエ列長音になるもの。
 ナメー=名前、オメー=おまえ、テメー=手前、ケール=帰る、のように、[ae]が[e:]になるもの。
 数は少ないが、[ie]が[e:]になる、オセール=教えるなども同様だ。これはまさに日本語における「リエゾン」ではないかと思った。

 先にご紹介した、「日本語の歴史」の中で解説されていた。これらの言葉は、江戸語であるが、乱暴だけれど裏には篤い人情がこもっている。長屋住まいの江戸町人達の好みで使われてきた。見てくればかり気にしている人間とは一線を画しているという自負さえ感じられる威勢のいい発音というわけだ。こうした江戸語は、明治時代になると東京語の中の下町言葉になって生き生きと活躍してきたという。
 また、連声(れんじょう)といって、撥音[n][m]や促音[t]の次にくるア行、ヤ行、ワ行音が、ナ行、マ行、タ行に変化する現象のことをいうようだ。カンノン=観音、インネン=因縁、リンネ=輪廻などだ。これも江戸語の特徴で、関西人からは反発があり、馬鹿にされたようだ。
 私は、これらの言葉を無意識に使ってきた。オヤジが日本橋で板前修業、祖父母が紙問屋、物心ついたときは、小さな商店街の中の魚屋の三男坊だったので、周りの会話も江戸語が多かったのだろう。
落語や、映画の「森の石松」や「一心太助」など小気味いい江戸弁を聞いて育ったので、自然と使うようになっていたのだと思う。
 一方で、魚屋のお得意さんや、小学校のお金持ちのクラスメートは上品な言葉を使っていた。2番目の姉が、「俺」というような言葉は使わないで、「僕」と言いなさいと、よく注意された。魚屋の三男坊が「僕」でもあるメーと思ったが、お客様や姉の前では「僕」を使った。
 40歳で大阪に転勤し、退職するまでに通算三度、9年ほど大阪勤務をした。関西弁にはほとんどなじまなかった。使ったのは「あほか」「ほな」などくらいで、他には思い出せないくらいだ。そんなわけで、関西人からは、ずいぶん乱暴なしゃべり方をする奴だと思われたのだろう。
 酒の席で先輩から、「オレが、オレが、という言葉は使うな。ここは大阪なんだから」と言われた。アルコールが入っていたこともあるが、頭にきたので、「俺が“オレ”と言ってなんで悪いんだ!、ジョーダンじゃーネー、ばかも休み休み言え!」と言い返した。
 
江戸弁と関西(大阪)弁、江戸時代から対立があったことがわかった。昭和の時代、市川、東京で育ったために、東京弁をあまり馬鹿にされずに今まで使ってきた。関東人が大阪に転勤して、言葉の問題でノイローゼ気味になったという話も聞いた。方言や言葉の問題、いろいろと難しいこともあるが、面白い問題だ。
 最近読んだ柳瀬尚紀の「日本語は天才である」も日本語を色々な角度から分析して面白い本だった。