里の秋:サネカズラ

 秋は花が少なくなってちょっと寂しい。しかし、春夏に咲いた花が趣を変えた実をつけているのを見るのも楽しい。まだ木の実のことはほとんど知らないが、この木がこんな綺麗な実をつけるのかと意外な発見をする。秋は赤い木の実がきれいだ。木の実の本や、インターネットで検索すると、赤い木の実も、色合いや大きさ、実の付け方など、こんなにあるのかと驚く。
 大宮に氷川女体神社を散歩して、モチノキ、実蔓(サネカズラ)等がきれいな赤い実をつけていた。家人がUnchiku Henryに、サネカズラと言えば、確か百人一首か何かに歌われてたわよね、と聞く。
 なんとかの「サネカズラ」といったことは覚えているが、歌は思い出せない。こういう時にインターネット「季節の花300」は便利だ。花にまつわる歌も教えてくれる。
「名にし負はば 逢坂山(あふさかやま)の
さねかづら 人に知られで くるよしもがな」
三条右大臣(さんじょうのうだいじん)
「核葛(さねかずら) のちも逢ふやと 夢のみに
祈誓(うけひ)わたりて 年は経(へ)につつ」
万葉集 柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

 三条の右大臣というのは、藤原定方のことで、内大臣藤原高藤の子で和歌と管絃に長じており、醍醐天皇の宮廷の人気者だったという。まあ、今でいえば財閥の遊び人御曹司と言ったところだろうか。逢坂山の「逢う」ということに「さねかずら」のね(寝)をかけ、かずらはからみつくものだから、それをたぐることに、「来る」をかけているという。また、この「来る」は女が来るのではなく定方が「行く」ことだと解説書にあった。平安時代の「来る」には英語の「come」ような使い方があったわけだ。
 この歌、歌としての後世の評価は低いようだが、当時、この歌をもらった相手は、とても面白く思ったはずだと田辺聖子は解説している。技巧に走ってはいるが男の恋ごころをうまく表現しているのだろう。
 百人一首は小学6年の時に、先生が毎朝黒板に二首づつ書いたものを覚えさせられた。そのおかげで、今でも上の句からはほとんど言える。しかし、音だけで覚えたので、いざ意味はとなるとわからないものが多い。そんなわけで大人になってから、解説本を何冊か読んだ。 「田辺聖子小倉百人一首」(角川文庫)、白洲正子の「私の百人一首」(新潮文庫)、鈴木日出男「百人一首」(ちくま文庫)、高橋睦郎百人一首」(中公新書)で上記の「さねかずら」を調べてみた。それぞれの解説が著者によって少しづつ異なっているところが、また面白い。読み比べてみると、田辺聖子白洲正子のものが味わいがある。百人一首は恋歌がほとんどなので、女性作家の方が心理分析が鋭いように思う。
 昔は、正月に兄弟や、高校の友人たちとよく百人一首をやった。記憶力の良い高校時代は、最初から歌を読むのではなく、まず作者を読み上げて始めたこともある。「天智天皇」ときたら、「秋の田の・・・」と読む前に、「わが衣手は、露にぬれつつ」をとるという具合である。いまでもやりたいと思うのだがなかなか機会がない。 息子達にも教えたかったのだが彼らの学生時代がアメリカだったのでその機会がなかった。孫の成長を待って教えたいと思うのだが、息子たちに「余計なものを!教えないでくれ」と言われそうだ。“ゆとり教育”で中学校くらいで教えてもらいたいものだ。
 サネカズラから、またまた寄り道をしてしまいました。寄り道、亦よし。これもまた、隠居道の特権なりと思わん!
 (写真、右上はモチノキ、あと一つが実蔓=サネカズラ)