「秘花」(瀬戸内寂聴 :新潮社)

 8月に図書館に予約しておいた「秘花」がやっと借りられた。この本を待っている人が多いので、早く読み終えて返却してくださいとのコメントが書かれている。人気があるのだろう。
 世阿弥の「風姿花伝」は今までに何度か読んだことがある。白洲正子の「世阿弥」も良かった。俗っぽいタイトルだが、「処世術は世阿弥に学べ」(土屋恵一郎:岩波アクティブ新書)はビジネスマンにとって考えさせられるところ大であった。「時分の花」「離見の見」「男時・女時」「初心」など、多くのことを教えられた。
 瀬戸内寂聴さんの「秘花」は世阿弥の思想を語るのではなく、世阿弥の生涯を小説として描いている。能のことはほんのちょっとかじっただけで、まだまだその奥義には寄りつけない。世阿弥は、足利義満の寵愛を受け、申楽を発展させ・・・、佐渡に流されたことくらいは知っていたが、その生涯についてはほとんど知らなかった。寂聴さんの「秘花」で世阿弥の生涯を知り、世阿弥がなぜ「風姿花伝」などを含む、十六部集という能楽伝書を描いたのかという背景も理解できた。
 義満と世阿弥の、将軍と稚児の関係。妻の椿になかなか子供ができなかったために観世座の跡継ぎに養子とした弟の子元重、早世した嗣子元雅、「申楽談儀」を筆録させた次男元能(もとよし)の出家など、子供に関わるストーリーもドラマチックだ。
 義満との関係の中での全盛時代、義満の急逝から、将軍が義持から義教へとうつるに伴い、世阿弥の申楽能から次第に田楽の隆盛時代へと移っていった。義教は元重を贔屓にして、世阿弥一門には存外の圧力を加えたという。そして佐渡への配流。佐渡での沙江という女性が世阿弥の最期をみとるまでの話、なかなか味わいがあった。
 能の世界は、まだまだ私には壁が厚い。しかし、この小説で「風姿花伝」の中の世阿弥ではなく、生身の世阿弥の一端が理解できたように思う。
 今、多田富雄の「脳の中の能舞台」や、馬場あき子の「古典を読む 風姿花伝」を読んでいる。少しづつ勉強していきたいと思っている。