お屠蘇

 毎年正月には一応屠蘇器を出してお屠蘇を飲む。といっても屠蘇器のおちょうしに日本酒を入れて飲んでいる。お屠蘇は本来、日本酒を飲むのではなく、数十種類の薬草を調合して酒に浸して飲んだのが始まりといわれている。小さいときの聞いたことがあったようだが忘れている。屠蘇散という漢方処方を酒に浸して飲むと言うことも知らなかった。屠蘇の字は、邪気を屠り(ほふり)、魂を蘇らせるところから「屠蘇(とそ)」と名付けられたという。飲み方も若い者から順にいただくという。飲み方も含めて、お屠蘇のしきたりを恥ずかしながら、この年まで知らなかった。
 それと、屠蘇の杯は、なんで大中小3段重ねなのだろうか。そこで、いつものようにインターネットで検索。ずばりの説明はない。宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を一献ずつ呑むのが決まりであったという。一献ごとに杯を変えるのだろうか。
 現在のお屠蘇はどのように飲むのだろうか。大中小の杯、大から回すのか、小から回すのか。三三九度の杯も三段だったことを思い出し「三三九度」を検索してみた。三つの杯は「天、地、人」を示し、その盃が一巡することを一献(いっこん)といい、三つ組みの盃が一巡すれば三献となるわけだ。
 私は神前結婚だったので三三九度をやったわけだが、40年近くたって初めて意味を知ったわけだ。三献の儀というのは神事、屠蘇の起源は中国、この辺も平安時代に中国からの文化の伝来が関係しているのだろう。
 ところで、飲んべーHenryは友人とよく一献傾ける。この一献ももとはといえば、神事から来ているのか。だらしなく飲んではいけないのだろう。
 「一献」を辞書で調べてみた。岩波古語辞典には <1>酒・肴を重ねない一席の酒宴。小酒宴、とある。Henryは小酒宴に終わらず杯を重ねているから、一献ですまずに何献も重ねていることになる。
<2>二献、三献と酒・肴を重ねる酒宴で最初の酒席。徒然草の216段に「一献にうちあわび、二献にえび、三献にかひもちひにてやまぬ。」という文章がある。<2>の意味からも、一献ではあまり飲めないことになる。これからは、「一献傾けましょう」とは言わないことにしよう。
 「日本のしきたり」という本がベストセラーになっている。日本のしきたりを知らないことが多いHenryですが、今更、この本を買おうとは思わなかったが、いちいち後でインターネットを検索するようでは日本人として恥ずかしい。この本の中身は知らないが、一度読んでみようかと思う。
 古いしきたり、慣習にこだわるつもりは毛頭ないが、こういうしきたりの中にある、文化、歴史、信仰の背景は、息子、孫たちに伝えていく必要があると思った。