栞(しおり)とスピン:「我が人生に乾杯」

 本についている細いひもをスピンということを、10日のNHKラジオ、山本晋也司会の「我が人生に乾杯」に出ていた、角川春樹が教えてくれた。角川春樹が、父、角川源義が死に、角川書店を継いでから、この栞ひも=スピンを廃止したという。このスピンは全て手作業でつけるのでコストが高くなるという。文学者であった父、源義と異なり、春樹はアイディア豊かな経営者だったようだ。コスト削減のためにこのスピンをいち早くやめ、紙の栞に変え、しかも栞に印刷するものから広告料もとったという。現在は、文庫でスピンを付けているのは新潮文庫だけだ。同じ厚さの文庫だと、新潮が一番安いと思う。売上高も文庫では恐らく新潮がNo.1だと思う。
 
 新潮にはこのスピンをやめないというポリシーがあるのだろう。立派なものだ。スピンがなくなって、挟まれている紙のしおりは使いづらく気に入らない。電車通勤をしている頃、吊革につかまりながら文庫本を読んでいると、よくこの紙栞を落として困ったことがある。線を引きながら読む本、何度も読みたい本などは、自分でスピンを付けたこともある。図書館でしているように、透明のプラスチックをカバーを付けるときに、色の違うスピンを2本付けたこともある。論語とか歎異抄、般若心経の解説本などに付けると、なかなか使い勝手が良い。
 
 「我が人生に乾杯」という番組、毎週聞いているわけではないが、木曜日8:05から9:30まで、たっぷりとゲストと山本晋也との対話があって楽しい。昨今の無駄なしゃべくりの多いTV番組より、よほど中身が濃い。
 角川春樹はコカインがらみで逮捕され、何年間か刑務所暮らしをしたこともある。『わが闘争 不良青年は世界を目指す』 といった本も書いており、俳人でもある。大した男だということは知っていたが、1時間半もたっぷり話を聞けて、面白かった。
 その中で、文庫本にカバーを付けたのも彼のアイディアとのこと。そうすることによって、本の価格を最後のページに印刷しないですむ。カバーに表示すれば、本の値上がりの時、カバーだけ印刷し直せばすむ。
 
 岩波文庫は長い間、本に値段を付けず★印を付け、★ひとつ50円という、実にうまい方法の価格戦略をとっていた。これだと値上げせざるを得なくなったときには、本はそのままで、○月□日より、★ひとつ100円になりますとやればいいわけだ。昔、書店に何回かそのような表示ポスターが貼られたことを憶えている。
 岩波文庫は、今は星表示をやめて、角川方式のようにカバーに印刷している。あの★表示の時代の岩波文庫が懐かしい。たしか、「★ひとつで薄い本だから」とか、「★5つでちょっと厚いけど・・・」などという会話も意味があった。これも昭和の遺産かな。
 
 角川春樹はまた、カバーを付けることによって、従来の背表紙だけの陳列から、平置きにさせることにより、視覚化による販促効果を高めたという。文庫本と映画と音楽を一体化させ、いわゆるメディアミックスというものの元祖でもあり、1970年代後半から1980年代は、いわゆる角川映画全盛時代を築いたのはご承知の通りだ。
 
 スピンの話しに戻ろう。我が蔵書?を調べたら、昭和43年〜46年頃までは、岩波文庫岩波新書もスピンがついている。角川春樹が社長になったのは昭和50年、33歳の時。その後、新潮文庫以外、各社とも文庫、新書のスピンがなくなった。このスピン、単行本には各社とも継続しているところが多い。しかし、西欧にはこのスピンはない。となると、スピンは何語なのか。英語の辞書や、「英辞郎」を引いてもそれらしい意味は出てこない。インターネットで検索したが、スピンそのものの言葉の起源についての解答は得られなかった。同じような疑問を持つ、もの好きがいて、以下のURLで回答者が何人か「spin」のことを語っている。
http://okwave.jp/qa1412194.html

 私は、この中の、spine=背骨、背表紙から来ているのではないかという説をとりたい。洋書の高価なハードカバーにはスピンがついているものがあるのだろうか、我が家の数少ない洋書の中にはない。今度、図書館で調べてみよう。

 ≪地図の読めない我が家人からまた、「そんなこと調べて何になるの」と言われそうだ。≫

 角川春樹が『晩夏のカクテル:魂の一行詩』ほか、何冊かの「一行詩」の本も出していることを知った。Henryも俳句なるものを、してみたい気持ちはあるが、どうも敷居が高い。川柳も良いなと思うのだが、いい川柳がすぐにできるような頭の柔らかさも足りない。春樹の一行詩がラジオの中でいくつか紹介されていて、なかなか味わい深いものがあった。一行詩といってもちゃんと、五七五の形式はとっている。角川春樹の一行詩も読んでみたくなった。