島根紀行 その6 温泉津温泉 妙好人:浅原才一

 2泊目は温泉津温泉の「あさぎ屋」旅館に泊まった。温泉津には1996年の7月、神戸に住んでいるときに、家内と共に車で行った。
この時にも、I君に宿の手配や岩見、温泉津などの案内をしてもらい、お世話になった。

 この温泉津温泉は、温泉津港から山側に伸びる温泉街ですが、賑やかな歓楽街などが見られず、鄙びた日本旅館が両側に立地する静かな街並みである。この古風な温泉街は2004年(平成16年)7月、温泉街としては初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された(港町としての選定であるが、後に温泉町という項目も設けられた)。 また、温泉津は当時中世〜近代に隆盛を誇った石見銀の輸出港でもあった。そのため、同港町は日本国内14例目の世界文化遺産石見銀山遺跡とその文化的景観」の登録を受けたとのこと。。
 そういうことも大事だろうが、私にとっては、「妙好人」浅原才一がここで生涯を閉じたことの方が興味がある。妙好人というのは、浄土系信者の中で特に信仰の厚く徳行に富んでいる人をいう。私は、鈴木大拙の「妙好人」「日本的霊性」と「柳宗悦 妙好人論集」を読んで、妙好人のことを知った。なまじの坊さんより、よほど深く、清らかな信心を篤く身につけている。
 浅原才一は温泉津で生まれ、五十歳頃までは船大工で、履物屋に転職して死ぬまで下駄つくりをやった。十八,九歳から地方寺院を回って聞法をしたという。五十を超えたときに安心の境地に達したという。その後は、下駄つくりでの鉋(かんな)屑に折々の信心の情感を、八十三歳で亡くなるまで、素直に書き付けたという。
 才一の歌というか、独白というか、書かれた言葉を読むと、有名な坊さん達の書き残したものと異なり、ハートに直接訴えるものが多くある。
 そんな浅原才一さん、もっとこの温泉津で有名なのかと想像しながら街を散策した。小さな才一さんの銅像がぽつんとあるだけで、大きく取り上げられていない。才一にちなむ土産物でもあるかと捜したが、下駄を書いた?おせんべいがあるくらいだという。
 浅原才一を知る観光客も少なく、その銅像には角が生えており、観光客には人気がないのではないかと思った。
 この温泉津温泉、あまり商業化して欲しくはないが、このような素晴らしいうた(詩)を残した、浅原才一という妙好人の信心と“日本的霊性”の素晴らしさをもっと宣伝して欲しいと思った。
 上記の本の中で紹介された、才一の「うた(詩)」の中から、いくつか私の情感に響いたものを紹介しましょう。
 
・「ままならの(ぬ)、ままに正てて(しようとしても)、
ままならの(ぬ)、ままに正とは(しようとは)、そりゃむりよ」
 
・「どをり(道理)りくつ(理屈)を聞くじゃない、
あぢ(味)にとられて、あじ(味)をきくこと、なむあみだぶつ」 
・「この悪人は仏をたのしむ、なむあみだぶつ。
仏はさいち(才一)が機をたのしむ、なむあみだぶつ。
しゅ上さいど(衆生済度)をさせてたのしむ、なむあみだぶつ。」