七福神が八福神に!?

 今回で3回目の塾の勉強会に参加した。大宮の自宅から会場までは約2時間ほどかかるのでちょっとしんどい。しかし、先生のお話が身近に聞くことができ、塾の雰囲気も知的緊張感があって、いつも新しい発見があるのが楽しいので、参加している。
 今回は塾生のWさんの前回に続いての黒澤明の作品、「生きる」の解説、Oさんの藤原時平による「古今和歌集」の編纂。漢文からひらがなへ、やまとことばの見直しなどの日本語論なども興味深かった。
 先生が来られてからは、世界の著名人が日本をどのように見てきたかの話しをもとに、日本文化、日本人の素晴らしいところを見つめ直すべきということを、過去の事例をあげて説明していただいた。 レヴィ・ストロースは「日本は、遠い過去との絆を持続し続けている。」 万世一系の“天皇制”には異論のある方も多いと思うが、ともかくも、このような長い“歴史の連続性”のある国は日本の他にはないということだ。
 牧師でもあった、ゴッホは自分の画の中に浮世絵の技法を取り入れた。そのゴッホは、「日本人は、一本の草の根を研究している。自分自身が花であるかのように。」また、北斎の画を見て、「働いている人を、慈しみをもって描いている。」と言っている。
 なるほど、天才画家は見るところが違うものだ。
 インドの詩人、タゴールは、日本の床の間を見てのことだろうか、「日本人は生活自体が芸術的だ。そういう“生活自体の芸術”を“見る人”が素晴らしい」と言った。
 俳句は「古池やかわず飛び込む水の音」と、作者は手がかりのみを与えて、あれこれ説明せずに身を引いてしまう。インド人や西欧人は“・・・水の音”?、それがどうしたで終わってしまう。
 日本人は、その情景を、味わい、鑑賞する、想像力や審美眼を、誰でもが持っている。日本は、知識階級や上流階級ということではなく、文化に関しては、誰でもがわかるという、“階級のない社会”なのだという。
 その他、世界を創った七大賢人(釈迦、モーゼ、イエスキリスト、孔子老子ソクラテス、モハメド)に聖徳太子を加えるべきではないか。とか、七福神(恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿寿老人・ 布袋 )にサンタクロースを加えたらどうか等の話は面白かった。
 七福神の中には“八百万の神”の思想が含まれている。これに、サンタとアラーさんを加えたら、ほとんど世界の“八百万の神を包含することになる。
 こんなお話を聞いた後、先生を囲んで、Kさん宅で手料理を頂きながらの談論も、知的好奇心を刺激された。皆さんに負けずに勉強しなくちゃと思いつつ、2時間の暑い帰路についた。