祇園祭神幸祭を観る」    2008.7.17 by Tsuno

今日は祇園祭の本番、山鉾巡航の日。炎天の祇園祭日和で人出も大変だろう。以前、祇園祭に関する記事か何かで、次のような内容を読んだ覚えがある。
 『祇園祭というのは7月の丸1ヶ月という期間をかけて行う祭である。ほとんど毎日のくらい何らかの行事が行われる。その中でも、神輿洗いの神事と神幸祭とは観る価値が大いにある。宵山も良い。当然、山鉾巡行が最大のハイライトであることは間違いないが・・・』という内容だったように記憶している。神幸祭は特に必見の価値ありと書いてあった。以来、いちど現場で見てみたいと思っていた。
 八坂神社の神幸祭は、17日から24日までの間、八坂神社の神霊が四條寺町にある御旅所に渡御される祭(神事)だという。八坂神社の神霊はスサノオノミコト、クシイナダヒメノミコト、それに、この二人の神から生まれたヤハシラノミコガミ。スサノオの神霊は中御座の神輿(六角形)に、クシイナダヒメの神霊は東御座の神輿(四角形)に、ヤハシラノミコガミの神霊は西御座の神輿(八角形)にと、三基の神輿にそれぞれ移されて御旅所に渡る。もうひとつ、小さな東若御座の神輿というのも出てくる。これらの神霊は御旅所に一週間留まり、24日の夜遅くに八坂神社に帰ってくるということである。
 一般的に、神幸祭は『神霊の行幸が行われる神社の祭礼。多くの場合、神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移し、氏子地域内への行幸、御旅所や元宮への渡御などが行われる。神輿が登場する祭礼のほとんどは、神幸際の一種である。・・・本来は、神霊を集落内の祭壇に迎える形であったものが、祭壇が祭祀の施設として神社に発展すると、迎える行為が逆の過程の里帰りとして残り、神幸祭が行われるようになったと考えられている。このため、磐座などの降臨の地が御旅所となり、現在では元宮や元の鎮座地であることが多い。御旅所に向かう神幸祭のおおまかな流れは―――→神輿などに神霊を移す神事→→神社から御旅所への渡御→→御旅所での神事や奉納(御旅所祭)→→御旅所から神社への還御→→神霊を還す神事―――となっている。神輿を巡幸のために神社の境内から出すことを宮出し、巡幸を終えた神輿が神社の境内に入ることを宮入という』などと説明されている。(ウィディペキアによる)
 八坂神社と祇園祭に関する、習わし、歴史、知識など興味深いことなどについてはこれから少しずつ知識を得ようと思う。

  今日、7月17日、とにかく外は炎暑そのもの、路上は多分40度Cをはるかに越えていたのではないか。気象庁の発表だから百葉箱での観測値のはずだが、この日の京都の気温は37度Cを超えたと報じられた。昼間、ハガキを投函するためにポストまで往復したが、路上は顔に触れる空気が熱かった。
 今年は神幸祭を石段下で観ようと決めていた。この暑さ!外に出るのにはだいぶん躊躇したが、重い腰を上げて、一人で出掛けた。家人は孫に着せたいと、甚平作りに熱中し、東京行きの準備も忙しいからという理由で在宅を決めた。

 17時10分頃に八坂神社石段下に着いた。石段には通路になる部分の、中央約2メートルを白いテープで仕切られて、両側に見物する人たちが窮屈にぎっしりしゃがんでいる。半分あきらめながら、自分が入る隙間はないかと目を凝らしながら石段を上がる。人ひとりが全く入る余地なしということはないだろうという確信的な期待がある。人の隙間を探すために目を激しく働かせながらゆっくり石段を上っていくと、警備の人が拡声器でもっと早く歩けと追い立てる。見事という位に隙間がない。まさにすし詰め。ぎっしりである。さらに拡声器の声が追い立てて焦らせる。とっ!!上から7〜8段目の辺りに、3人の人がかなりゆったり目に座っている場所が目に入った。隙間の具合からして、他の人の席となる場所を押さえている風でもない。しめた!すかさず思い切って声をかけてみた。ダメもとである。「そこ、少し詰めてもらえませんか?」。3人の人が消極的にではあったが、詰めてくれて、そこに陣取ることができた。やってみるものである。
 しかし、それにしても窮屈である。おまけにほとんど全身に汗をかいているのだ。汗かきは辛い。着ているものがべったりと身体に張り付いていてしまった。一応場所は確保できたのだから下手に動かないほうが良いのだが、ぐるぐる巻きに縛り上げられたのと変わらないくらいにシャツとズボンが締め付けていてこのままの姿勢ではとてももたない。まだ17時20分。神輿が来るのが18時頃と聞いている。とんでもない。このまま我慢していたら、気が狂って絶叫しそうになるだろう。折角隙間を空けてくれた両隣の人たちにも、後ろで窮屈にしている人たちにも申し訳ないが、もそもそと動きながらほんの少し領地を拡げて、思い切って立ち上がった。深呼吸しながらチノパンと足や尻回り、更にシャツとアンダーシャツとの間に空気をいれて思い切り緩めて、再び座る。座るとき、前の人の背中に手が触れてしまい、睨まれた。しかし、お蔭でだいぶ楽になった。これで神輿の出発式が終わるまで、落ち着いて観ることができそうだ。
 石段の中央の通路を歩く人たちは、相変わらず警備担当の人の拡声器に「一列で、急いで。写真を撮りながら歩かないように。メールをしながら上らないで。モノを食べながらの人(たこ焼きを食べていた)食べるのは別のところで。上りは左一列、下りは右一列、止まらないでください。もう少ししたら門を閉めます。門が閉まったらもうここには戻れません。そこの人ダメです通路に座らないで、白線からはみ出したらダメです。・・・」と追い立てられている。時々、警備員と見物人との間に喧嘩が始まる。怒鳴る見物人。なだめながらも頑として譲らない警備員。更に激高して大声を出す見物人。冷静に聞いていると、結構つまらないやり取りで、怒鳴っている見物人だけがやたら興奮しているのが滑稽だ。
 「何でワシの顔を見ながら注意するんや?見てみい!他の人たちかて同じようにやっとるやないか。それを何でワシの顔を見て注意するんや?コラッ、説明せい。どアホッ。」
「済みませ〜ん、ここで止まられると困るんですわ。前に進んでクダサ〜イ。」
「コラァッツ?返事せんかい!なんでワシの顔を見て注意すんのやと言っとんじゃ?」
衆目の中である。こうなったらもうこの人は引っ込みがつかない。警備員は敢えて相手にしない。周りはニコニコしながら成り行きを楽しむように見ている。あちらこちらに笑い声が生まれる。
「コラァッツ、返事せんかい。・・・覚えとけ!コラァッツ?」
 次から次と通行する見物人たちに押し出される格好で、捨て台詞を吐きながら姿を消して、一件落着。面白い退屈しのぎだった。周囲から安堵の混じった笑い声がひろがる。最後の「覚えとけ!コラァッツ?」というキメが面白かった。その気持ち分かるが、どうする積もりだったか?引っ込みの付け方は難しい!
これも祭には付きものの座興だ。座れた人たちは気楽なものである。横や前に座っている人の体臭さえ我慢すれば一応は楽勝だ。
  いつの間にか石段下周辺は交差点も四条通りも人で埋まってしまった。近くでは相変わらず警備員の拡声器の声、向こうでは警察のスピーカーが「横断歩道を空けろ、車道に出るな、そこの緑の服を着た人、・・・そうあなた、道路に座ってはいけません。立ってください・・・」とやっている。

 やがて、河原町方面から四条通を裃の一団が歩いてきて八坂門の方に消えて行ったり、逆に、八坂門の方から数人からなるお触れ太鼓のような一団が出てきて四条通河原町方面に曲がって行ったりしだした。神社の神官十人余の一団が、マーチングバンドのように一列になって笛を吹きながら八坂門の方からやってきて、石段下の北西角に整列した。馬に乗った神官や稚児が河原町のほうへゆっくりと移動して行く。今頃は八坂神社では神霊を神輿に移すいろいろな神事が行われているのだろうな、などと考えを巡らしながら待つ。

 18時頃、夏の日がだいぶ西に傾いてきた。薄い雲が太陽の直射をうまく遮ってくれている。風も幾分か心地よく感じられるようになってきた。石段に腰を下ろして左側、八坂門の方からざわめきが起こり、それが徐々に大きくなってきた。「ホイットー ホイットー」という掛け声が聞こえ始めた。石段下交差点に差し掛かる前で神輿は静まった。体制を整えている様子だ。見物人たちも一瞬静まる。緊張感が高まる。担ぎ手は全員白の法被姿だ。かなり大きな神輿である。『中御座』と書いた提灯が先導している。リーダーの鳴らす笛の合図が鋭くピーッツと鳴り、指示の声が飛んだ。ユラリと神輿が起き上がる。静かに動き出す。『ホイットー ホイットー』の掛け声がだんだん迫力を増して石段下交差点に近づいてくる。どよめき、拍手、手拍子、掛け声・・・緊張感がどんどん増してきて、鳥肌立つ様な感覚が走る。神輿は一旦八坂神社と正面で向き合い、担ぎ手の両手で差し上げられて掛け声とともにリズムをつけて時計回りに渦を巻くように回る。すごい迫力である。この中御座の神輿は六角形で、中にはスサノオノミコトの神霊が移されているとの事である。石段下で士気を鼓舞するように差し上げられ、グルグルと回転した中御座の神輿は、そのあと静かに後ろに(河原町川に)引き下がって静かに下ろされた。氏子の担ぎ手はその場に静かにしゃがんで動かない。統率がとれていて清々しい緊張感が伝わってくる。
 見計らったように、八坂門の方から小さな神輿が元気よく出てきた。これが多分、東若御座の神輿なのだろう。可愛い感じの神輿だ。同じように石段下でパフォーマンスした後、神社を背にして右側に静まった。
 そして、東御座の神輿が姿を現し、一旦静まって態勢を作り直してから一気に八坂の石段下に担ぎこまれた。デカイ!担ぎ棒の総長が四条通の道幅一杯ほどもある。この神輿は四角形。移されているのはスサノオノミコトの妻である、クシイナダヒメノミコトの神霊。この神輿の石段下でのパフォーマンスも迫力満点であった。とにかくデカイ。それが担ぎ棒にぎっしり取り付いた担ぎ手に力強く差し上げられて、リズムに合わせて激しく上下に揺すり立てられる。鈴の音がその激しさとリズムを際立たせる。思わず拍手。鳥肌が立つ。身震いが走る。リーダーはヘッドマイクを着けて指示を出している。この指示を出す間合いも慣れたものだ。かなりの経験を踏んでいる人なのだろう。一見怖そうにも感じる顔立ちの人である。神輿差し上げの迫力満点のパフォーマンスのあと、石段から見て右手に整然と神輿を下ろして静まった。担ぎ手達はやはりしゃがんで動かない。
 次に八坂門の方から現れたのが、『錦』と書いた提灯を掲げた西御座の神輿である。この神輿は八角形。ヤハシラノコガミの神霊が移されている。先の神輿と同じように石段下正面で、神輿を激しく上下に揺する差し上げのパフォーマンスをして、石段から見て左側に静かに神輿を下ろした。
 石段下の交差点は白い法被を纏った氏子の担ぎ手で埋め尽くされている。時は夕暮れ、周りの観衆たちの着衣との色の対比が際立つ。静かにしゃがんでいるだけなのに、迫力がある。やがて、実行委員長のような人が挨拶台に立って挨拶をした。どこかの氏子代表なのだろう。続いて京都市長が挨拶台に立ち、興奮した口調で挨拶をした。引き続き、挨拶台に神官が立つと白い法被の担ぎ手が全員立ち上がった。神官が氏子たちを祓い清めた。出発式の終了である。
 白い法被の動きが急になった。東若御座の小さな神輿も含めて四基の神輿がそれぞれのリーダーの指揮の下に浮き上がった。四基の神輿が石段下に一気に凝縮するように間合いを詰めて差し上げられ、激しく上下に揺さぶられる。なんという激しさだ!観ているこちらの心が共鳴するように揺さぶられているのが分かる。観衆の大拍手。言葉にならない大きなどよめき。
 やがて、中御座と西御座の二基の神輿は四条通を西に向いて移動し始めた。東御座と東若御座の二基は東山通りを北に向かって移動を開始した。すばらしかった。家族たちと一緒にこういう場を共有したいと強く感じた。この夏に満1歳を迎える孫はどんな顔をして観るだろうか?
 ひとつ、新しい関心事ができた。今まで、「カミ」は上(天)と地の間を垂直に移動するものだとばかり思っていた。今日の渡御を観ていて「カミ」は水平(横)にも移動するのか!という驚きだ。過去に何度もお神輿を観てきたのに、そんな風には考えもしなかった。神輿と氏子はカミの横移動のメディアとなりうるのか?この新しい疑問(関心、大発見)については今後の宿題だ。
 折角なので、八坂神社にお参りをしてから帰ろうと思い、行きかけたが、人が一杯で通れないからダメだと警備員に言われ、あきらめた。石段下交差点の真ん中で神社に向かって深く頭を垂れてお参りとした。周りは薄暗く、夕闇がかかり始めていた。混雑する観衆に混じって歩き、心を静めながらゆっくりと帰途に着く。駅の入り口に通じる階段の所で八坂神社を振り返ってみた。

・・・あらためて知った、祇園祭のもうひとつの意外な一面・・・
一瞬の間が生じた。
そして、ゆっくり、改札に向かった。