「能と唯識」(岡野守也)

 岡野さんの唯識関係の本は数冊読んだ、仏教学者や坊さんの書いたものより分かりやすい。今まで、岡野さんが能について語ったものは読んだことがなかった。
 能については今までにいくつかのものは観劇したが、全くの素人で謡の内容、ストーリーも後追いで、そういう内容だったのかと復習している始末だ。能について書かれたものも多少読んできたが、能と唯識との関係を書いたものには出会わなかった。
 岡野さんのこの本で、能の謡と唯識(and顕密仏教)との関係が良く理解できた。観阿弥世阿弥父子の座は興福寺に所属することによって興行権を保証されていた。それ故に、もっとも能らしい能といわれる夢幻能の成立に興福寺の教え・唯識がかなり大きな影響を与えているのではないかとの推論をたてた。「能楽源流考」「謡曲集」や仏教書、「申楽談義」ほか能関係の書物、文献に当たりながら論証をしている。
 「采女」「江口」「卒塔婆小町」「実盛」などの能の物語は、今までに読んだ本で多少理解していた。今回、この本を読んで、唯識との関係と、これらの能で作者たちが何を言わんとしているのかが理解でき、納得がいった。
 そういえば、数年前に行った妻沼の聖天さまは、斎藤別当実盛の開創だった。民衆にも愛された、なかなかの武人だったようだ。機会があれば、「卒塔婆小町」「実盛」などの能を、謡のテキストを持っていって鑑賞してみたいと思った。