「日本には豊かな資源があった」

 我々世代は戦後の教育で日本は資源の何もない国で、貿易に頼らなければ・・・ということを教えられてきた。しかし最近の考古学の成果や石見銀山世界遺産登録などで、日本には古代から豊かな資源があったことが認識され始めている。
 1984年に発見された、島根県荒神谷遺跡は銅剣358本が発見されたり、2001年に発見された奈良県の飛鳥池遺跡は7世紀に灰吹き法で銀を精製する大規模な金銀工房の生産遺跡が発見され、最古の貨幣「富本銭」が発見されている。
 又、東北の尾去沢銅山も700年代から金属の精製が行われていたことがわかってきた。
 なんでもかでも、中国、朝鮮半島の影響を受けてということではなく、帰化人の技術力の助けはあったとはいえ、日本独自の技術を蓄えていたという。
 石見銀山も行くまで知らなかったが、当時世界中の銀生産の1/3を石見から産出していたという。その石見銀山の銀を求めて、ポルトガル、オランダなどが銀を求めて日本に来た。ヨーロッパでは金銀が取れなかった。だから、イギリス、オランダ、スペインなど海外に出て植民地化を進めたのだということも勉強になった。その後の、日本の歴史、世界との関係に石見の銀が大きく関わっていたと言うことなど、ここ数年で初めて勉強した。
 ことほどさように、日本は奈良・平安時代から江戸時代頃までは豊かな資源があり、それなりの力を持っていた国だった。
 塾の先生は、日本の過去の歴史、芸術を正しく認識、理解することによって、日本人としての正しい歴史認識、芸術感を涵養しなければならないと力説されている。先生はそういうご自身の哲学を、“近代保守”ではなく、『歴史保守』だと提唱されている。何回かの塾で先生の考え方を聞いて、納得のいく“哲学”だと思った。