友人masmaxさんの死

3年にわたり、ALS筋萎縮性側索硬化症)と闘っていた友人masmaxさんが、10月3日、66歳の生涯を閉じ、天に召された。アメリカ駐在の7年3ヶ月、LAでいっしょに働き、家族ぐるみでのお付き合いをしていただいた。
 日本に帰国されてからは付き合いは減ったが、娘さんの結婚式や奥さんのお母さんの葬儀などに参列した。
 私が帰国してから、大阪勤務の時にはよく私の会社に来られ、コーヒーを飲みながらの雑談を楽しんだ。彼は剣道、野球、ゴルフ、テニスなど運動することが大好きだった。ゴルフ、テニスは月に2,3度ご一緒した。体も頑丈でスタミナもあった。そんな彼が、40歳ころからフルマラソンを始めたという。アメリカ駐在時代は、ニューヨークマラソンボストンマラソンなど、その度に、NYへの出張の仕事を作り、マラソンのついでに仕事をしていた。家族旅行や出張の際は、必ずランニングシューズを持っていき、朝5時頃から、家族、友人がまだ寝ているのに、がさがさと支度をして走りに出かけた。
 そんな彼が足の痛みを訴え始めた。私は彼に、いい年をして、そんなに体を使いすぎるから体が悲鳴をあげているのではないかと、冗談半分にいった。それから半年後だっただろうか。彼がALSになったと聞いた。物理学者のホーキング、野球のルーゲーリックなどがALSだとは知っていたが、まさか彼がそんな難病にかかるとは信じられなかった。
2005年の11月30日、神戸の自宅に見舞いに行った。その時には、まだ、新神戸まで車を運転して迎えに来てくれた。右手が不自由になり始め、駐車場の駐車券を取ることができず、シートベルトを外して身体をひねり左手を伸ばし取っていた。レストランでランチを共にしたが杖を使って、階段を上がるのが辛そうだった。舌や口の筋肉も弱ってきたのだろうか、話す言葉も聞き取りにくくなって、奥さんの通訳が必要なほどだった。
 そんな彼に、ブログを書くことを勧めた。好奇心の強い彼はすぐに始めた。ブログの中で、自ら、「ALSとう難病と共生する初老の男」とプロフィールを書いて、自らの闘病記を、泣き言一つ言わずに書き続けられた。“"闘う”ではなく、“共生する”というところが彼らしい。車椅子に乗って、教会の仲間の助けを借りながら、関西学院の「死生学」を無遅刻、無欠席で学び通したそうだ。そういった彼の生き様や、彼を取り巻く家族の状況、看護士さんや、音楽療法士さんの様子、季節の移り変わりなどを、ブログに書き綴った。
 だんだんとキーボードからの入力がしんどくなってきたようだったので、文字数が少なくて済むように俳句を勧めた。奥さんや、娘さんが撮影した花の写真と共に、何回か俳句を添えるようになった。いっとき、いっときを大切に生きているせいなのか、俳句も素晴らしいと思った。
 亡くなる1週間前までは、3人目の孫の誕生の話や、イチローの話などを書いていたので、突然の訃報に驚いた。
 彼のブログを通じて、人間の生と死、家族の愛、友情、色々なことを教えて貰った。
 いまはただ、ご冥福を祈るばかりだ。天国でも無線でインターネットが受信できるのではないか。いやいや、そんなことをしなくても“思いや愛”は、空間を光の速さで、「天」「カミ」「ホトケ」に伝わるものと信じたい。
 新神戸の教会でのお通夜、告別式に参列し、彼と一緒に過ごした日々を思い出しながら、2年ほど住んだ神戸、懐かしい新神戸、三宮を散策し帰路についた。
<追記>
 彼、masmaxさんのブログは終わったが、彼の死を知った友人たちが、心温まる弔辞コメントを書いている。奥さんや、ご長男には、彼のブログを是非本にして残すように勧めた。ALSを発病してから亡くなるまでの3年間、どのように生きて、過ごしたか、色々と考えさせられ、学ぶ所大でした。
 皆さんにも是非一度、彼のブログを読んでもらいたいなと思います。私のコメントも所々に入っています。
 URLは、 http://d.hatena.ne.jp/masmax/ です。