死を考える

 ここのところたまたま「死」について書かれたものを読んだ。
五木寛之の「天命」、山折哲雄の「日本人のゆく浄土」、鎌田東二の「神と仏の精神史」、テーマは異なるのだが、それぞれ、死、日本人のゆくあの世のことに触れている。
 そんなとき、ALSの友人が急逝した。「天命」を全うされたと思う。クリスチャンだった彼は天国に召されたわけだが、自称BudhistのHenryはやはり浄土に行きたいかな。天国と浄土は違うところかとなると、あとから行くHenryは彼とは会えないか。天国とか浄土とか言わずに「あの世」でいいのではないか。あの世なら宗教の違い、宗派の違いを超えて、みんな仲良く過ごせるのではないだろうか。
 ブッシュやフセイン、オサマビン・ラディンはそれぞれ別の“あの世”で過ごし、あの世でも戦争をするのだろうか。せめて、あの世では一緒に、あの時はすまなかったとお互いに謝ることはできないのだろうか。
 これらの本と、友人の死から、とりとめもないことを思いめぐらした。