「脳ある人、心ある人」養老孟司+角田光代

養老孟司直木賞作家;角田光代の往復書簡。理科系の養老さんと、家人が好きな、文化系の角田さん。気軽に読める話題を取り上げているが、対話のキャッチボールが知的で楽しい。
 以下、私が傍線を引いた箇所を書き出しました。Yは養老さん、Kは角田さん、HはHenryの弁です。
ホスピスで一番上手に死ねる人とは、その時その時を、精一杯楽しんで生きる人だという。Y
→そうです。人生いつも楽しむ気持ちで生きなくちゃ! 典型的B型のHenry
・「知らない」を選べる自由、「知らない幸福」、知っていることだけが賢さなのでは、きっとない。K
→たしかに知らない幸福は多くある。病気のこともあまり多く知ってしまうと身動きが取れない。ためしてガッテンなども見過ぎるとかえって何を食べたらいいのか分からなくなる。H
・世界を見ている自分が変われば、世界は変わる。Y
 学ぶなら自分が変わるまで学びなさい。
→だから哲学と宗教を勉強しなくてはいけないのだ。それにしても 自分が変わるまで勉強するのは大変なことだ。凡人は適当なところで妥協しよう。H
・小説とは、未だ言葉になっていないものを自分の手で何とか捕まえる、という行為だと私は思う。言葉を捕まえることよりもむしろ、言葉以前のものを感じるか感じないかということだ。K
→感性の鈍いHenryは“言葉以前のものを感じる”ためには、もう少し家人の勧める小説を読まなくてはいけないのだろう。
 似非仏教徒の貴方は、もう少しこういう文学(小説)を読みなさいと、家人曰く。H
・だまされるというのは、自分の内に物語を創ることだと思う。K
 宗教や政治も大きな意味では物語だ。K
・人が生きているとは、ありとあらゆる物語を楽しむことである。
・動物には「限界逃走距離」がある。Y
 (ミュージックプレーヤーの)イヤホンと携帯電話というのは、私たちの限界逃走距離ではないか。Y
→東京人、大阪人の限界逃走距離は微妙に違う。大阪に転勤したとき、大阪人が妙に顔を近づけて話すので、思わず身を後ろに引いたことがある。動物も植物も一定空間の中に生体数が多くなりす ぎると自殺するものが出てくると、何かの本で読んだ。都会派Henryとしては新宿、渋谷などの雑踏が時に恋しいが、最近は歳のせいか、余りの人混みは酸素が足りなくなるようで息苦しい。 飛鳥や湖北の風景は心が落ち着く。H
・他人の心の中に入ってこようとする宗教は、ついご遠慮いただきたくなる。Y
→だから私は“静かで、深い、親鸞教(浄土真宗ではなく)が好き なのです。H