お伊勢参り:東海道歩き <その1>

 今回はいよいよ湯本からの箱根越え。一週間前の天気予報では寒波が来て、雨風の心配があった。会のメンバーからのメールでは、箱根越えの厳しい石畳の画像や、防寒対策、ステッキの準備などのアドバイスが行き交う。私は、ステッキを購入するくらいで、あとは有り合わせの、靴、リュック、雨合羽で充分と思っていた。
 心配性の家人は当初からこの箱根越えには賛成していなかった。しかし、行くからにはきちんとした装備、準備をして行きなさいと、レインウェア、シューズ、ステッキ、靴下、ホッカイロなどを購入、かなりの物いりになった。
 12月6日、6時半のバスにのり、大宮から新宿へ、小田急ロマンスカーの展望車で集合場所の箱根湯本へ9時25分着。総勢16名男性のみ、平均年齢60数歳、最高齢は70歳。三枚橋で記念写真を撮って、箱根越えの出発。天気は予報が前倒しになって、寒波も通り過ぎ雲一つない快晴。
 山道にはいると、ごつごつの石畳が多い。転ばぬようにとできるだけ平らな石を選びながらの歩行、周りの景色を眺める余裕はほとんどない。登りの連続ではなく、上り下りの変化があるので、足には負担は少ない。それでも、30分もしないうちに汗だく、小休止に時にセーターとマフラーをリュックにしまいお茶を飲む。
 昼猶闇き杉の並木道は歩きやすいのだが、所々に階段がある。石畳もしんどいが、いろいろ詰め込んだリュックをしょって階段を登るのはしんどい。初めてスティックというものを使った。はじめのうちは杖が何ほどの助けになるものかと思っていたが、階段や急な登り坂では助けになることを実感した。登りは短め、下りは長めにして使うことも知った。
 途中の休憩場所では、幹事のKさんが全員に「箱根八里」の歌詞のコピーを配ってくれた。それを見ながらの合唱。箱根八里の歌詞をあらためて初めて読むという人や、函谷関(かんこくかん)って何ですか、という50代の若い人もいた。という私も函谷関に行ったことはないし、「羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)・・・」という言葉ははじめて見た。意味はわかるが、「羊腸」という言葉は初めてだった。今の小学校では、この歌は歌わせていないのだろうか。この歌詞をきちんと説明するのは先生にもかなりの教養が要求されるのではないだろうか。そんなことを考えながら、皆で若かりし頃を思い出しながら大きな声で歌った。
 昼は、「石畳茶屋」というところで、各自持参したおむすびと、うどん、そばなどを食べた。ここまで、大宮の自宅から13,500歩、歩数は少ないが、坂のごつごつとした石畳は平地の何倍もしんどい。
 昼食後、更に、まさに羊腸のように曲がりくねった石畳、階段を上り下りしながら、峠の「甘酒茶屋」で甘酒を飲む。酒粕臭さがなく、汗が冷えた身体には心地よい暖かさと甘さだった。土曜のせいか、狭い店内は合い席で次から次に客が入る。それにしても茶碗一杯で400円はいい商売だと思った。  甘酒で小休止の後、さらに旧街道を進む。やっと眼下に芦ノ湖が見えた。ここまで来れば一安心。とはいいながら、疲れ始めた足で、ごろごろとした石畳や、石段の下りはかなりきつかった。宿泊所の松坂屋に着いたのは3時40分、リュックを降ろして、箱根神社にお参りした。ちょうど結婚式を終えた新婚さんが記念写真を撮っていた。こういう風景はいかにも日本的でいい。
 箱根、芦ノ湖周辺には何度も来ているのだが、いつも車ですっと通りすぎてしまうことが多かった。歩く旅はしんどいが、そのぶん楽しみも多い。湖畔に建つ鳥居の赤と雪をかぶった富士山の白の対比が鮮やかだった。
箱根神社は初めて行った。一度宿に着いてからの神社本殿までの階段はしんどかった。なかなか立派な神社だった。
 雲一つない晴天の中、空気は冷たかったものの、風もなく、気持ちよい箱根越えができた。
風呂で足をほぐした後のビールは格別の味だった。