箱根越え:「箱根八里」で国語のお勉強

 「箱根八里」を歌詞を見ながら、伊勢詣りの仲間と一緒に、久しぶりに歌った。作詞、鳥居忱、作曲滝廉太郎と改めて知った。歌詞を以下に記す。「忱」を「シン」「マコト」と読むことも知った。

第一章  昔の箱根
  箱根の山は 天下の険 函谷関も物ならず
  万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う
  雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
  昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か
  一夫関に当るや万夫も開くなし
  天下に旅する剛毅の武士
  大刀腰に足駄がけ 八里の岩根踏み鳴す
  斯くこそありしか往時の武士

第2章   今の箱根
  箱根の山は 天下の阻 蜀の桟道数ならず
  万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う
  雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
  昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か
  一夫関に当るや万夫も開くなし
  山野に狩り剛毅の壮士
  猟銃肩に草鞋がけ 八里の岩根踏み破る
  斯くこそありけれ近時の壮士

                                                                                                  • -

 歌が一番、二番でなく、一章、二章というのも変わっている。
伊勢詣りの若い仲間が「函谷関」を知らなかったのにビックリした。我が息子二人は当然知らないだろうが、私より10歳くらい若い彼はこの歌を小学校時代に歌わなかったのだろうか。函谷関は奇岩、巨岩の多い大渓谷のことだろうと想像していた。Webで検索したら立派な塔のある関所のような画像が載っていた。
 この歌詞、あらためてじっくり見ると、今の漢字を読めない麻生総理ではないが、国語の勉強になる。「仞(じん)」という漢字など、これだけで、書け、読めと言われてもできない。広辞苑を調べると、『中国古代の、高さ・深さの単位。8尺・7尺・4尺・5尺6寸など諸説があるが、7尺説が有力。』とある。
 「支う」は「さそう」と振り仮名がふられ、私もそう覚え、そう歌ってきた。しかし、改めて辞書を引くと、「さそう」では出てこない。「ささう」が正しいようだ。「後」を「しりえ」とは今の若者は読めないだろう。古語辞典によると、万葉集に用例が既にある。
 「万丈」などという言葉は他に使われることがあるのだろうか。新潮現代国語辞典によると、北村透谷の文章に引用例があるが、これももう死語だろう。「闇き」も「くらき」と読むとは広辞苑などの国語辞典には載っていない。漢和辞典の“意読”として載っている。
 さて次の「一夫関に当るや万夫も開くなし」が問題だ。伊勢詣り歩く会のメンバーで解釈が分かれた。「険しい岩山の頂上に登って、後から来る“万夫”を、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の如く、次々と蹴落とした」という説を唱える人がいた。それはないだろうと、家に帰って広辞苑で「一夫」を調べると、
『[李白、蜀道難詩]けわしい地勢の地にある関所は、一人の男が守備に当たるだけで、万人の兵が攻めても陥落することが無い。きわめて要害堅固な地形をいう。』という説明があった。
 第二章の「蜀の桟道」は何となくイメージはできる。広辞苑によると「きりたった崖がけなどに棚のように設けた道」とあるが、実際の中国の“桟道”はおよそ歩きたくない“道!”だ。インターネットで検索したら写真入りで詳しく説明してくれているサイトがあった。興味のある方はご覧下さい。
  http://guide.travel.goo.ne.jp/e/goo/traveler/asayama55/album/10163305/

 第二章の最後は「近時(きんじ)の壮士(ますらお)」とある。箱根八里の歌詞を別のサイトを見ると「近事の壮士」とある。近時、近事、どちらも意味は同じようなものだが、一章の「往時(おうじ)の武士(もののふ)」と対比すれば、「近時(きんじ)」が正しいのではないかと思う。ところで「壮士」を「ますらお」と読ますとは、我が家の数冊の国語辞典には載っていない。これは当て字として解釈していいのだろうか。
 「草鞋」と「草履」も読むのはなんとかなるが、書くとなると心許ない。某総理はまさか「くさかえる」とか「そうふく」などと読まないだろうね。
 「箱根八里」も箱根を旅する人以外には忘れられていく歌なのだろうか。
箱根峠越えに際し、この歌を歌い、国語の勉強に至りました。