松戸市:本土寺:あじさい鑑賞


 あじさいの季節だ。ここ2年ほどは、指扇の氷川神社のあじさいを見に行っていた。今年は新しい場所に行きたいと思っていたら、「千葉の松戸にある本土寺にでかけよう」と家人の提案。
 最近、友人達に立て続けに言われたことがある。「いつもどこへ行くにも奥さんを連れて行くのは偉い!」とか「ヘンリーさんは、たくさんの妙齢さん達に囲まれて、奥さんは気を悪くしないの?」などなど。
 しかし、家人の名誉?のため、ここに付け加えておくと、糖尿キャリアでありながら「文化人?」のヘンリー、ゴルフ、お伊勢歩き、卓球など、折々のイベント以外の日は、とかくPC、読書三昧、「時々昼寝」のインドア生活。何とか「日常的に」私を歩かせたいと、「鬼看護婦」家人が、本やネットを検索し、計画。私はカメラを抱えてアッシー君になり、鬼看護婦の命令一下「一万歩」を目指すわけである。また、妙齢さんも、もともとは家人の友人から始まった。私のブログを読んで、Henryが、たくさんの妙齢友だちを持っているように、美しき誤解をしてくれる友人も多い。しかし、Henryがそんなにモテるわけはない!「妙齢の使い回しをしているのではないか」と見破られた。家人も妙齢のOne of themなのだ。しかし、Henry負けじと、一緒にそぞろ歩きこそしなくても、わがブログを読んでくれる妙齢さんや、コメントを下さる妙齢さんも増えてきたのだ!
 さて、「本土寺」である。
街中にある寺の、たくさんのあじさいに囲まれた塔や、本堂を想像していたのだが、見事に予習不足だった。正面の仁王門をくぐり、境内に入ると、少し高くなった丘に立派な五重の塔を左手に見、前には本堂。ぐるりとあじさいが囲む。そこを撮影すると境内ツアーである。ツアーするほどに広大であった。
 実際、一般では入れない本堂、茶室、像師堂などを巡り、法話を伺い、懐石のお重をいただくツアーがある。境内にはたくさんの、美しい新緑を拡げるもみじや楓があり、紅葉の季節の美しさはいかばかりか、と期待が膨らむ。秋には「もみじツアー」を体験しようと思う。

 徳川家康公の側室「秋山夫人」のお墓を過ぎてあじさいの小道を巡り、丘の下りにさしかかると、たくさんの人々から「オーッ!」「ワーッ!」の小さな歓声があちこちから上がる。見下ろした所が一面の菖蒲園だった。回廊にもたくさんの人、人、人。熱心に絵を描く青年がいたりする。菖蒲の群生ごしに宝物殿、妙朗堂などを撮影。
 更に巡ると睡蓮の池に至った。水中の弁天堂を囲む木々も清々しい佇まいである。藤棚があり、藤の季節も美しかろう、と想像する。浄域一万坪と言われる起伏に富んだ地形に、桜、楓、もみじ、銀杏の木々。そして季節季節の花。
 花の寺として知られる本土寺の本土とは、「我此土」つまり、お釈迦様が本当の佛、本佛となって住む国土「本土」に由来し、花は、本佛に捧げる花であり、宝珠であると、案内に書いてあった。
 明治維新廃仏毀釈運動や、度々の不受不施の法難以前は、四院六坊がとりまく一四間四面の本堂を中心に、七堂伽藍がその山容を誇ったという。「ちょっとあじさいを見てこよう」という我々の安直な思いだったのが、境内の五重塔や日本建築の美と、意匠を尽くした自然の庭園の調和に、ハッとするような異空間を感じ、味わうことができた。