「日本の曖昧力」(呉善花=オソンファ:PHP新書)

 A塾のOさんから紹介された「日本の曖昧力」を読んだ。呉善花という人は名前は聞いていて、以前新聞の書評で紹介されていたが読まずじまいだった。この呉善花さん日本の大学に留学し、東京外語大の修士課程を修了して、現在は拓殖大学の国際学部の教授をしている。日本文化に惚れ、日本信徒になったという。
 「日本的な曖昧さは、今の世界が陥っている限界を切り開き、世界を動かしていく“曖昧力”として捉えることができる」と言い、「日本人同士であれば、曖昧さを察しあうコミュニケーション文化がある」、「これからの調和と融合を目指す国際社会ではこの“曖昧力”の働きが大きな役割を果たすようになるでしょう」と語る。
 この曖昧力は、先日、我がブログで書かせていただいた、長谷川櫂の「和の思想」で「和とは異質なものを調和させ、新たに創造する力を指すのだ」というところの“和の力”とも通ずるところがあると思った。
 “曖昧力”と“和力”“話力”“輪力=環力:人の輪、世界の輪”を日本からもっと発信し、行動していくべきだと思う。
 呉善花さん、なまじの日本人インテリよりもずっと日本のことを理解していると思う。「日本人はなぜ旅に出るのか」「美の大国日本はいかにして生まれたか」「日本人はなぜ微妙なゆがみを愛するのか」「日本の職人はなぜ自然の声に耳をすますのか」「日本語はなぜ“受け身”を多用するのか」「なぜ日本には武士が生まれたか」「天皇はいかにして日本社会に平等をもたらしたか」「世界的課題としての“日本風”」といったテーマで書いている。
 日本人の我々があまり深く考えたことのないことを、韓国、中国、世界との対比の中で分析している。日本人の私としては、ちょっとほめられすぎで、“これでいいのだ”と素直に思えないところもある。しかし、高校まで正しい日本の歴史を教えられずに、日本の悪いところばかりを教えられてきた戦後世代の我々は、この本を読んで、日本の文化、歴史を見直し“日本の良さ”を再認識するする必要があるのではないかと思った。
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