フォト俳句

sunriseさんのコメントに対する返信ですが、長くなりましたので本文で書きました。
 俳句なんて高尚なものは、文学的才能のない遍理にはできません。ただ、森村誠一の提唱するフォト俳句を見て、自分が花散歩などをした際に、思い出になる一言を書き添えたら良いだろうなと思った。とはいうものの、なかなか良い一言が浮かばない。でも、自分の思いを気取らずに表現した一行でいいじゃないかと開き直って書いた。季語にこだわらない一行詩などを読んで、一言多いとニックネームを付けられたHenryが、文字を減らして表現するというのも、ひとつの楽しき修業かなと思っている。
 私の長姉が何年か俳句をやっていた。姉の俳句の先生が私の小学5年の時の担任の先生だったと知って驚いたことがあった。姉の俳句が雑誌「角川」の選ばれて掲載されたことがあり、姉が嬉しそうにその俳句のことを話していたことを思い出す。
 俳句をやるには多くの俳句を読むことと、多く作ること、言葉を多く学ぶことが必要だと思う。
 言葉をさがす、選ぶというのは、つくづく難しいものだと思う。獲得言語数が少ないとなかなか思うように書けない。類語辞典も時々引くのだが、自分の表現したい気持ちの言葉を見つけるのはなかなか難しい。要は、多く読み、多く書くということだろうか。
 今から俳句をやろうなんておこがましいことは考えていないが、時々、気の利いたフォト俳句やフォト一行詩が書ければいいなと思っている。