北鎌倉散策 <その3>精進料理「鉢の木」

 円覚寺を出て鎌倉か移動を左に折れ、すぐ近くの「鉢の木」という精進料理の専門店で精進料理弁当を食べた。この店、昭和39年の創業で、屋号は本店が北条時頼の建立になる『建長寺』門前に創業したことから、この古事にちなみ、お客様を心をこめておもてなしするよう、名づけられたものという。
 店名「鉢の木」の由来は、時は鎌倉時代。諸国行脚の旅をしていた北条時頼は、上野国佐野で大雪に遭い、通りがかった家に宿を乞いた。 宿の主・佐野源左衛門常世は、貧しい生活ながらも粟飯を炊き、宝物として大切にしていた梅、松、桜の三本の鉢木を惜しまず焚いて、見ず知らずの旅人である時頼をもてなしたと伝えられています。この話は謡曲にもなり、古くから広く日本の美談の一つとして語りつがれています。源左衛門は能の演目『鉢木』の登場人物である。
 北条時頼が康元元年(1256年)に病でたおれ、出家したときに自らの地位を隠し諸国を旅したことが記されている太平記や増鏡を元にしたものだとされる。
 源左衛門は自分が一族に佐野庄三十余郷の領土を押収されたことを僧に話した。僧が旅立ったその後に幕府から動員命令が下る。これが「いざ鎌倉!」の原点とはじめて知った。源左衛門もぼろの鎧身につけ、痩せた馬に乗って駆け付けた。源左衛門は執権に召し出されあの雪の日に泊まった僧が時頼だったことを知り、時頼は一族に押収された佐野庄三十余郷を返し与えさらに家でもてなしたときに使った薪の種類に合わせ、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の領土を恩賞として与えた。
 この「鉢の木」佐野源左衛門が創業したわけではない。佐野源左衛門がどんな人物だったのかWebを検索した。謡曲、能の演目にもなっており、川柳でも源左衛門の貧乏ぶりがたくさん歌われている。
 以下のURLに面白い解説が掲載されている。ご興味のある方はご覧あれ。
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Nohpage/NohSenryu/Nohsen02Hachinoki/NohSenryu02.html
 ここの精進料理、上は1万円くらいの高級精進料理もあるが、我々の食べたのは2500円くらいのものだったろうか。それでも上品で美味しいお弁当でした。
 歴史を思い起こしながら老舗の料理店での昼食もまた乙なものでした。