「知的余生の方法」(渡部昇一:新潮新書)

 34年前に「知的生活の方法」を書いた渡部昇一さんが80歳になった今、「知的余生の方法」という本を書いた。
 「知的生活の方法」は私も32歳の時に読んで影響を受けた。この本の7年前に梅棹忠夫の「知的生産の技術」がベストセラーになった。この2冊から、読書の仕方、情報整理学他、知的生産、知的生活とはどういうものかなど、多くのものを学んだ。この2冊のヒットで、当時、「知的○○」というのがブームになったことを記憶している。ただ、この2冊以外は大したものはなかった。

知的余生の方法 (新潮新書)

知的余生の方法 (新潮新書)

 「知的余生の方法」の冒頭で、「少にして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。」という、佐藤一斎の言葉を引用している。渡部さんはそのように学んできたのだろう。80歳にしてこういう本を書くのも素晴らしいし、14歳年上の渡部さんの生き方に改めて啓発される。
 私も、少しは佐藤一斎流に学んできたつもりだが、何事ももう一歩突っ込みが足りないせいか、死してはやはり朽ちそうだ。まだ、第二の人生の先は長い? これからも学んでいこう。
 この本の中で、老いて読むのに最適だとして、パスカルの「パンセ」と、アレクシス・カレルの「人間−この未知なるもの」を勧めている。パンセは「人間は考える葦である」という言葉などで有名だが、高校を卒業した頃に読んだ、“パスカルの賭け”や“幾何学と繊細の精神”などの章が記憶に残っている。アレクシス・カレルはちょっと読んだだけで積ん読になっていた。
 「知的余生の方法」で刺激を受けたので、この2冊をじっくり再読してみようと思う。
 「これを知るものは、これを好むものにしかず。これを好むものは、これを楽しむものにしかず。」と論語の一節も引用している。いまさら読書して、知って、何するわけでもない。知るためにではなく、楽しむために知的余生を過ごしていきたい。
 また、渡部さんは、宗教的なことに興味を持つと、人は飽きることなく続けることができる。これが知的生活を形成していく。その点で、仏教は、高級、高邁、深遠で最適だと勧める。確かに仏教は奥が深い。何処までいっても知り尽くせない。宗教というより、哲学、“人間の学”ではないかとも思う。仏教も、知ろう、分かろうとするより、楽しんで学んでいこうと思う。