「復興の精神」(新潮新書)

復興の精神 (新潮新書 422)

復興の精神 (新潮新書 422)

 3・11以後、これからをどう考えるか、各界の人々が色々なことを言ったり書いたりしている。心ある大方の識者は、今回の東日本大震災によって、自然の驚異を再認識し、グローバル経済主義一辺倒、科学技術への盲目的信頼を謙虚に見直すべきだという、日本及び日本人のパラダイム転換を求める声が大きい。 

 東日本大震災以降、私たちはどのように考え、どのように行動し、どのように生きていくべきなのか。すべての日本人が向かわねばならないこの問いに、以下、九人の著者が正面から答えた。その言葉は時に優しく、時に厳しい。3・11以降を生きていくための杖となる一冊。

養老孟司:「精神の復興需要が起きる」
茂木健一郎:「変化への希望」
山内昌之:「公欲のために私欲を捨てよう−災後の歴史認識
南直哉:「無力者の視線」
大井玄:「プロメテウスのように」
橋本治:「無用な不安はお捨てなさい」
瀬戸内寂聴:「無常−どん底は続かない」
曾野綾子:「生きているといいね」
阿川弘之:「大丈夫、必ず復興しますよ」
と、各氏がそれぞれの復興の精神を語っている。
 各氏の発言の中で、曹洞宗の若手僧侶、青森県恐山菩提寺の院代である南直哉の語る、以下のような所に特に共感を憶える。

「現代の我々が祈りを知らずに生きていられたのは、我々が無力であることの、深い無知、いや長い忘却の果ての無知故である。」
「この長い忘却を、我々はずっと「進歩」「発展」「成長」と呼んできた。」
「およそ科学とは“人間”の頭が自分の都合のよいように設定した条件下でしか成り立たない言説であることを、科学者もその成果の享受者たる我々も忘れているからである」
「明治以来、“富国強兵”で頑張り抜いた結果は、戦争と敗戦と原爆ドームである。その後、“富国”に絞って再び頑張ったら、バブル経済と大震災と原発事故である。我々の頑張り方に欠陥があることは、もう明らかだろう。」

 また、橋本治
「都市が進化の象徴で、文明発展のバロメーターであるような時代はもう終わった」
東京大空襲」「関東大震災」「阪神神戸大震災」これらは焦土からの復興だった。今回の東日本大震災の復興はこれらと異なり、「地方の復興」である。
「地方は地方で生きていける」このあり方を前提において「日本全体の再構成」を頭に入れてからでないと、今度の大震災からの復興はナンセンスなものになってしまうと思う。
 等々の発言にも納得する。

 いずれにしても、政治家の無能をあげつらうだけでなく、日本人一人一人が自分の立場でこれからどう生きていくべきかを考え直さなくてはいけなくなったことは確かだろう。