K女史:級友の死

 高校3年の時の同級生Kさんが亡くなった。このKさん、高校時代から切れ者で私が「M女史」と共に、「K女史」とニックネームを付けさせていただいた。高校3年の時のホームルームでは、精神年齢の若いHenry君、何度か彼女にやりこめられた記憶がある。彼女は早稲田の文学部に現役で入った。
 このクラスのクラス会の第一回目は1963年8月25日、Kさんの呼びかけで始まったとMさんから聞いた。Kさんのお兄さんがやっている東京八重洲口のレストランでクラス会もやった。そのお兄さんが東京のレストランを閉め、千葉県の鵜原で民宿をやられ、その民宿にお世話になり、一泊でクラス会をやったのも懐かしい思い出だ。
 皆、知性と教養に満ちあふれた同級生との談論風発の光景が思い出される。

 大学を卒業してから広告会社などに勤めたこともあったようだが、その頃から腎臓が悪化し、人工透析を続けながら東京腎臓病協議会などでの活動を続けられていた。
平成11年10月に、両国高校60期生の同期会で、小講演「今を生きるー腎不全から血液透析27年」という講演をしていただいたこともある。
 2006年9月、22回クラス会で、透析生活34年完走祝い
をしたこともあった。クラス会の二次会で笑顔でカラオケを歌っていた姿も印象に残っている。
 妙子さん39年の厳しい節制の下での透析生活を終えた、お疲れ様でした。ご両親の待たれる浄土へと旅立った。
 南無阿弥陀仏。ご冥福を祈り、合掌!