「方丈記私記」(堀田善衛:ちくま文庫)

 家人が図書館で借りた、この本を勧められた。家人は週間ブックレビューでこの本を知ったようだ。堀田善衛は学生時代に岩波新書の『インドで考えたこと』読んだことがある。この本でインドのことを初めて理解した記憶がある。良い本だった。
 「方丈記私記」は、古典である「方丈記」を「同時代」の事として読むことを教えている!「同時代」として読んだ時にこそ、この本の本当に恐るべき真価が理解される。堀田さんは、方丈記を敗戦間近の東京大空襲の記憶と重ね合わせた、同時代ドキュメントとして読み、当時の鴨長明氏の心境まで髣髴とさせる程の、素晴しいものとされている。
 この本、東日本大震災後に書店の店頭に並んだ。 堀田さんが生きておられたら、方丈記にてらして、どのように表現しただろうか。東日本大震災のことも含めて、方丈記私記ー続編を書いて欲しかった。
 方丈記では安元3年の大火、福原遷都、治承4年の大風、養和の大飢饉、元暦2年(1185年)の大地震、等を扱っているが、政治の動きも激しく、大災害が次々と発生していることが分かる。
 
 「また、同じころかとよ。おびただしき大地震(おおない)ふること侍りき。 そのさま世の常ならず。山崩れて、川を埋(うず)み、海はかたぶきて、陸地(くがち)をひたせり。 土さけて、水湧き出で、巖(いはお)割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす」
 まるで東日本大震災のことを語っているような、臨場感がある。上記のような、方丈記原文を初めて読んだ時には、なにせ大昔の出来事、鴨長明がオーバーに表現しているのだと思っていた。堀田善衛は長明はジャーナリスティックである。しかも、学芸部や社会部の記者ではなく、政治部の記者的に書いているという。
 
 この元暦2年(1185年)の大地震(おおない)、ウィキペディアで「地震の年表」(以下のURLをクリックしてみてください。)を検索するとM7.4クラスだったという。震度としてはどの程度だったのか分からないが、方丈記の表現から思うとかなりの規模だったろうと推測される。
 東日本大震災の惨状を映像で見ると、鴨長明の描写がオーバーではなくリアルに迫ってくる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#cite_note-2

 文庫の帯には以下のような解説が載っている。

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1945年3月、東京大空襲のただなかにあって、著者は「方丈記」を痛切に再発見した。無常感という舌に甘い言葉とともに想起されがちな鴨長明像はくずれ去り、言語に絶する大乱世を、酷薄なまでにリアリスティックに見すえて生きぬいた一人の男が見えてくる。著者自身の戦中体験を長明のそれに重ね、「方丈記」の世界をあざやかに浮彫りにするとともに、今日なお私たちをその深部で把えて放さぬ伝統主義的日本文化を鋭く批判する名著。

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あらためて方丈記の原文を読み返した。政治、いくさ、自然災害など、大激動の中世の時代に生きた長明が、時代状況の中でどのように世の中を見て生きてきて、「方丈記」を書いたか。堀田善衛方丈記の時代と東京大空襲後の東京を引き比べて書いているのも併せて興味深く読めた。