役小角と行基 その1(役小角)

 川崎のA塾に行ってきた。2か月ぶりだろうか。今回のテーマは「役小角と行基」、役小角については今までほとんど知らなかった。関西在住時、吉野の桜を見に行った折、役小角が金峯山を開基したことを初めて知った。久保田展弘の「修験の世界」、「日本の聖地」を読んで、修験道の世界、役小角のことが少し分かるようになっていた。そんなわけで、今回のA塾のテーマでT先生のお話は楽しみだった。
役小角は634年、舒明天皇の時代の人、色々な伝説が書かれている。役小角は何も文書を残していない。「日本霊異記」「続日本紀」に伝説的なことが書かれている。後世の人たちが役小角を神格化しようと、言い伝えられた内容が多いようだ。役小角が開基した寺や霊山が関西を中心に全国にまたがってたくさんある。それだけ影響力があったのだろう。
 T先生のお話では、仏教伝来前から日本の原始信仰、自然信仰、山岳宗教が早くからあったのではないか。さかのぼれば、縄文時代から連綿と“山の宗教”として引き継がれたのではないかと言われる。仏教の正式伝来以前から、ヒンズー教道教密教系の思想が伝わって来ていたのではないかと推測する。
久保田展弘の「修験の世界」や、町田宗鳳の「山の霊力」の中でも、少なくとも、仏教伝来の7,80年から100年前後早い時期に、仏教、儒教陰陽道などを含む宗教文化が私的なかたちでわが国に入ってきただろうと推測している。
 また、外来の宗教は、山岳系の宗教と、平地(都)を対象とした都市型宗教との二通りの伝来があったのだろうと言い、さらに、山岳系の宗教の伝来の方が早かったのではないかと言う。そういう山岳系の宗教が、縄文時代から続いた、日本人の自然信仰、“山の宗教”と結びついていったのではないかと、私も思う。
 開祖と仰がれた役小角修験道が、明治の神仏分離令修験道廃止令により、修験道の本山派、当山派とも、天台宗真言宗に包括されたが、その後、今日では、全国の霊山において、修験道集団が活動している。
 数冊の本を読んだだけで、まだまだ修験道と言うものがどんなものかは分からないが、既存の仏教、神道とは別の世界観をもった“修験の世界”も奥が深く、日本人のDNAに訴える宗教観、思想があるように思える。
 役小角の開基した、あるいは関係している寺社があちこちにある。機会を見て、そういう史跡も行って見たいと思った。
 日本霊異記もパラパラ読みだったので、これを機に読みなおしてみようと思う。
 行基については次回!