<玄侑宗久を読む>

 玄侑宗久福島県三春町臨済宗妙心寺派福聚寺の長男。1956年生まれ。幼稚園の時にカトリック、高校の時、モルモン教統一教会天理教に接し、慶應義塾大学に入り、文学部中国文学科で現代演劇を専攻。イスラム教ものみの塔等に触れ、ヨガ道場にも行っている。職業も色々と体験し1988年に福島に帰り、福聚寺の副住職を努める。小説家を志し、2001年「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞した。私が最初に玄侑宗久のものを読んだのは、「禅語遊心」「 やおよろず的」「現代語訳 般若心経」や南直哉アルボムッレ・スマナサーラとの対談等だった。仏教学者のような堅苦しさがなく、ユーモアもあり、現代科学にも造詣が深く、静かな語り口が自分の波長とも合っていて面白く読める。
 小説嫌いの私としては珍しいが、「中陰の花」「アミターバ」「アブラクサスの祭り」「阿修羅」等を読んできた。彼の小説は、仏教(信仰・宗教)に関わるテーマが書かれているので興味深く読めた。
 そんな玄侑宗久に我が家人がいつごろからか興味を持ち始めた。私の本棚から何冊か引っ張り出して読んでいた。ある日、気がつくと、家人が図書館から借りて来た玄侑宗久の本が、「 観音力」『無常という力「方丈記」に学ぶ心の在り方』「祈りの作法」「光の山」と、4冊もある。どの本もまだ私が読んでいないもので、興味深い内容のようだ。書店ではほとんど眼につかなった本だ。
 「観音力」は観音経について分かりやすく書いている。『無常という力「方丈記」に学ぶ心の在り方』は東日本大震災の後書かれたもので、長明の時代の元暦2年(1185年)の大地震に言及しながら、福島原発放射能汚染にも触れている。堀田善衛の「方丈記私記」の現代版のようにも読めた。
 玄侑さんは福島の住職で、原子力の事も勉強されており、復興対策会議の委員もされたと聞く。そんな彼が、現場の状況を踏まえて書いている内容には説得力があると思えた。

 A塾の田中先生によると、神道、日本の八百万の神々に触れない、仏教学者や僧侶の話は信用できないと言う。ここ10数年、古代史や神道関係の本を読んできたり、田中先生のご指導を受けて、私も先生のお考えには全く同感だ。
玄侑宗久臨済宗の僧侶だが、いろいろな宗教や、科学(物理、宇宙)の事もよく勉強しており、神道、神社などの事も含め、田中先生の言うところの「八百万イズム」にも触れており、柔軟な考え方をしていると思う。

 今回は、家人に追い越されないよう一気に4冊読んだ。どれも面白く読ませていただいた。
玄侑宗久は現在は福聚寺の住職、今後も色々な本を書いてもらいたいと思う。