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「モノと日本人」(榮久庵憲司) その2

 榮久庵憲司さんの「モノと日本人」、「道具論」に触発されて、”モノ供養”を考えて見た。先日A塾で行った品川神社に包丁塚があった。包丁塚を見たのは初めてだった。この包丁塚、品川宿には東海道最初の宿場ということで多くの宿あり、多くの料理人が包丁を供養したものだという。
 私の実家は魚屋だった。親父と後を継いだ長兄が毎日使った出刃包丁、刺し身包丁、ウナギ包丁など、7,8本の包丁があったこと、その形も、減り具合も記憶に残っている。時々、包丁研ぎもやらされた。だから、今でも家の包丁は1週間に一度くらいは砥石で研いでいる。
 親父と兄貴が死んで、店も閉じた。実家の包丁たちはどうなったのだろうか。まだ残っているのなら供養しなければならないだろう。
 日本人は、包丁だけでなく、モノに命があると考え、用無しになったものを供養する。針供養は有名で全国の寺社で行われている。女子校や服飾関係の学校では学校の行事として行われているという。モノを大事にする、モノに感謝するという意味からも素晴らしいことだと思う。
 芝の増上寺の中に「はさみ供養塚」があった、由緒書を見ると、山野愛子さんが寄贈したものだとあった。美・理容師のハサミだけでなく、和裁・洋裁のハサミの供養も行われているようだ。

 他にもモノ供養塚はあるのだろうか。筆塚というのはあるが、万年筆塚、ペン塚(シャープペン、ボールペン)はなさそうだ。パイロットかプラチナさんあたりがどこかに建てれば話題になるのではないか。文房具オタク(筆記具オタク)のHenryとしては、数百本の筆供養をしなければならない!
 自転車や、車の廃棄場は供養もされずに惨めな最後になる。
榮久庵さん、この辺のところも嘆いていた。