家人が会津藩びいきなのでぜひ行って見たいとのことだった。
承安5年(1175年)春、法然が比叡山の黒谷を下った。岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。すると、その石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然は、ここに草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるという。
また、徳川初期に、同じ浄土宗の知恩院とともに、城郭構造に改められていた。会津藩主松平容保が幕末の文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。しかし、会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き、治安の維持に当たらせた。
帰宅してから調べたら、出家した熊谷直実が庵を結んだという蓮池院という庵もあったという。見損なったのが残念だ。秋の紅葉の頃はまた素晴らしいようだ。機会があればまた行って見たい、風格のあるお寺だった。