「日本文学の古典」(岩波新書)を読む

 先に書かせていただいた、岩波「図書」の”はじめての新書”で紹介されていた「日本文学の古典」を読んだ。源氏物語平家物語枕草子方丈記徒然草、などの他、能、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃などいろいろな古典を要所を抑えて紹介、解説してくれている。このような日本の古典がどのような歴史的背景の中で書かれてきたかがよく理解できた。
 私にとっての好きな古典は、徒然草方丈記風姿花伝あたりだろうか。源氏物語平家物語も拾い読みはしてきたが、通読はしていない。源氏、平家や徒然草も読み返してみたいと思う。
 
 この本の中で徒然草の百五十五段を紹介していた。以前にも読んだことがあったのだが、あまり印象に残っていなかった。今回読んでみて改めて素晴らしい文章だなと思った。読みながら、蓮如の「白骨の御文章」を思い出したが、徒然草のこの文章のほうがいいのではないかと思った。
 以下にご参考に百五十五段の後半部を転記しました。
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春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月(かんなづき)は小春の天氣、草も青くなり、梅も莟(つぼ)みぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣、下に設けたる故に、待ち取る序(ついで)、甚だ早し。生・老・病・死の移り來る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれる序あり。死期(しご)は序を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ事、しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。
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里の秋も葉が落ちたが、早くも蝋梅の花が咲いたところもあると聞く。”冬来たりなば、春遠からじ” 
上記の文章に感じ入るところが多くなったのも歳を重ねてきた証なのだろう。