コロナ禍の大晦日
こんな大晦日を世界中の誰が予期しただろうか? 東京都の感染者が1000人を超えるのは時間の問題とは思っていたが、大晦日に! しかも一気に1300人超えとは恐ろしい❗
今日はエール総集編を見てあらためてドラマの素晴らしさと、古関裕而の歌に泣けた。
夜は紅白でエール特集、2歳の孫の好きな嵐、その親の好きなYoshkiなどのつまみ視聴はするものの、この年になると若い人の歌には良いメロディーの歌があるものの詩に感動するものが少なくなってる。テレビ東京の年忘れ日本の歌の歌謡曲、演歌のほうが落ち着く。
コロナで明け暮れた一年で、思いがけなくも、スローライフをすることになった❗
2021年は、世界中の人達が、ザ・サピエンスの傲慢さを反省し、政治家の愚かさは言うまでもなく、ゆき過ぎた経済成長、環境破壊をいまこそ考え直さなければいけないと思う❗
2020年 読み納め 「私の歎異抄」(紀野一義)
釈撤宗さんの「歎異抄 救いの言葉」を読み終え、改めて、紀野一義さんの「私の歎異抄」が読みたくなり、再読した。前に読んだのが2009年だから11年前になる。歎異抄に関してはいろいろな方のものを読んできたが、紀野さんのこの本は印象に残っている。改めて、歎異抄の中の親鸞の言葉を噛みしめ直す。
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
今生に、いかにいとほし不便と おもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、 いまだ候はず。
親鸞は弟子一人ももたず 候ふ。
「薬あればとて、毒をこのむべからず」
「さるべき業縁のもよほさば、 いかなるふるまひもすべし」
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞 一人がためなりけり。
ズバッとした鋭い言いきりがハートにずしんと入ってくる。
紀野さんは、あるドイツ人が言った、「ヘッセの文学を真に理解するためにはゲミュートがなくてはいかぬ」と引用した。ゲミュートとはgemut
ところで、読み初めは季語にもなっているが、読み納めは一般に使われてはいるようだが、広辞苑など身近な辞書には載っていない?
青春のころに出会った歎異抄、コロナ禍の2020年、静かに初心に還り、読み納めとした。
釈撤宗 「歎異抄 救いの言葉」(文春新書)を読む
Amazon Prime Music & YouTube
amazonプライムで月々500円でいろいろな音楽を聴かせてくれる。YouTubeもいろんな音楽動画が見られ、Jazz、クラッシック、演歌、ポップスなどなんでも聞くことができる。但し、有料会員にならないとCMが入るのがうっとうしい。会員は月1150円なのだがこちらには加入していない。
長男が以前防滴のBlutoothをくれたので、最近は入浴しながらJAZZを聴き、しばしのリラックスタイムを楽しんでいる。
BlueToothスピーカーも安くていい音が出るので、風呂用、キッチン、寝室、書斎と4台おいて、TPOで楽しんでいる。
Amazonはそれぞれのメニューに応じて、色々なプレーヤーの名演奏を聴かせてくれるので飽きない。
「南方熊楠と宮沢賢治」(鎌田東二:平凡社新書)
副題を日本的スピリチャリティーの系譜として、鎌田東二が二人のMK、南方熊楠と宮沢賢治について書いている。鎌田さんは、「神道とは何か」「身体の宇宙誌」など多くの本を書いている。仏教、神道、宮沢賢治、妖怪学など幅広い著作がある。
この本では、南方熊楠の密教曼陀羅の世界観と、宮沢賢治の法華経世界観との対比だけでなく、賢治の語る蓮如の白骨の御文、熊楠の大日和讃など熊楠仏教と賢治仏教の対比や華厳経の思想との比較など興味深く語られている。又、賢治の妖怪物語や熊楠の妖怪民俗学などの比較も面白かった。
賢治の詩、物語が法華経、仏教的世界観がベースにあることは承知して、賢治の作品を読んできたが、今回鎌田さんのこの本を読んで、もっと深い世界観が「春と修羅」などの詩に込められていることを改めて教えられた。
改めて、熊楠、賢治を読み直してみたいと思った。