wowowで録画してあった映画を見た。この映画、東京京タワーが建ったころの昭和30年代、私の中学時代だ。作家志望の主人公の竜之助が、見ず知らずの預かってしまった小学生の淳之介に万年筆をプレゼントするシーンがある。
三年日記6冊、16年目
手書き三年日記を書き始めてから今年で16年目になる。始めたときは62歳だったから何冊続くかなと思ったり、一日の書くスペースが少ないなと思ったものだが、今では一行しか書かない日も増えてしまった。
しかし、今年で6冊目、書き忘れる日は一年で1,2日、自分でもここまで続けるとは思わなかった。寝たきりになって万年筆が使えなくなるまでは続けたいと思っている。
3年手書き日記6冊目
手書き三年日記を書き始めてから今年で16年目になる。始めたときは62歳だったから何冊続くかなと思ったり、一日の書くスペースが少ないなと思ったものだが、今では一行しか書かない日も増えてしまった。
しかし、今年で6冊目、書き忘れる日は一年で1,2日、自分でもここまで続けるとは思わなかった。寝たきりになって万年筆が使えなくなるまでは続けたいと思っている。
コロナ禍の大晦日
こんな大晦日を世界中の誰が予期しただろうか? 東京都の感染者が1000人を超えるのは時間の問題とは思っていたが、大晦日に! しかも一気に1300人超えとは恐ろしい❗
今日はエール総集編を見てあらためてドラマの素晴らしさと、古関裕而の歌に泣けた。
夜は紅白でエール特集、2歳の孫の好きな嵐、その親の好きなYoshkiなどのつまみ視聴はするものの、この年になると若い人の歌には良いメロディーの歌があるものの詩に感動するものが少なくなってる。テレビ東京の年忘れ日本の歌の歌謡曲、演歌のほうが落ち着く。
コロナで明け暮れた一年で、思いがけなくも、スローライフをすることになった❗
2021年は、世界中の人達が、ザ・サピエンスの傲慢さを反省し、政治家の愚かさは言うまでもなく、ゆき過ぎた経済成長、環境破壊をいまこそ考え直さなければいけないと思う❗
2020年 読み納め 「私の歎異抄」(紀野一義)
釈撤宗さんの「歎異抄 救いの言葉」を読み終え、改めて、紀野一義さんの「私の歎異抄」が読みたくなり、再読した。前に読んだのが2009年だから11年前になる。歎異抄に関してはいろいろな方のものを読んできたが、紀野さんのこの本は印象に残っている。改めて、歎異抄の中の親鸞の言葉を噛みしめ直す。
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
今生に、いかにいとほし不便と おもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、 いまだ候はず。
親鸞は弟子一人ももたず 候ふ。
「薬あればとて、毒をこのむべからず」
「さるべき業縁のもよほさば、 いかなるふるまひもすべし」
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞 一人がためなりけり。
ズバッとした鋭い言いきりがハートにずしんと入ってくる。
紀野さんは、あるドイツ人が言った、「ヘッセの文学を真に理解するためにはゲミュートがなくてはいかぬ」と引用した。ゲミュートとはgemut
ところで、読み初めは季語にもなっているが、読み納めは一般に使われてはいるようだが、広辞苑など身近な辞書には載っていない?
青春のころに出会った歎異抄、コロナ禍の2020年、静かに初心に還り、読み納めとした。