浪曲「徂来豆腐」

 家内が友人たちとの会食ということで、一人でラジオを聞きなが
ら食事をした。NHKで浪曲をやっていた。ラジオで浪曲を聞くな
んてのは何十年ぶりだろう。「そらい豆腐」という演題だった。内
容はインターネットで検索した以下の内容をご覧ください。
ここ数十年、家に帰ると食事の時、食後にはたいがい、TVでニ
ュースを見るか、おもしろいスポーツをやっていればそれを見ると
いうパターンだった。ラジオを聞くのは朝の通勤時か車の運転時に
ちょっと聞く程度だった。
 定年になって少々時間の余裕ができるとラジオでも意外とおもし
ろいいろんな番組があることに気がついた。今日の浪曲もなかなか
味のあるおもしろい話だった。今頃浪曲がおもしろいなんてのは年
をとった証なのだろうか。いや、私たちの小学時代はまだほとんど
の家庭にTVはなく、ラジオが娯楽だった。ラジオから流れる歌謡
曲、落語、漫才、浪曲、講談などを親と一緒に聞いていた。FEN
から流れるJazz他のアメリカの音楽、日曜の「ユア・ヒット・
パレード」、巨泉、永六輔前田武彦3人の「昨日の続き」、「P
盤アワー」なども懐かしい。
 
 改めて、浪曲をじっくり聞いてみると、いいもんだ。先月に新宿
末広亭に寄席を見に行ったが、落語、浪曲、講談など、こういう大
衆古典?芸能も改めて見直すことも現代人には必要な、かつ、意味
のあることではないかと思った。

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  1. エピソード:浪曲「そらい豆腐」  

 落後好きの方なら徂来の無名の頃のエピソードで「そらい豆腐」
という話をご存じかもしれない。
 江戸に戻った徂来は芝増上寺前に居を構え、講釈をして生計をた
てた。名もない青年で、門人も少なく、それはそれは貧乏のどん底。
見かねた近所の豆腐屋がおから(豆のしぼりかす)を差し入れして
くれ、そればかり食っていた。
 後に出世して大儒者となってからも、恩義を忘れず、終生月3斗
の米を送り続けた。感謝する豆腐屋に向かって徂来が「あんたとは
昔から切らずの縁(豆腐も切らないで食べられるにかけて)ではな
いか」という落ち。
 業績とは裏腹に、豆を食いながら人の悪口(本人は公然と言って
いたらしいので、悪意より講評をしていたのが、房総なまりで悪口
にとられたのかも)を言ったりと、気さくな庶民感覚があった人の
ようだ。 大儒家となった晩年まで、大声と房総なまりは抜け(変
え)なかったという。