「陰翳礼讃」(谷崎潤一郎:中公文庫)

 これも友人の勧めで遅まきながらやっと「陰翳礼讃」を読んだ。國語嫌い、苦手のHenryとしては、高校時代に授業で「少将滋幹の母」を読んだが内容はまったく覚えていない。
 この「陰翳礼讃」何かのきっかけで読もうと思って買ったはずなのに、本棚を探したが、見つからず、勘違いかなと思い購入した。読み始める段になって、他の本を探していたら、別のところにあるのが見つかった。
 
 最近は同じ本を買ってしまうことが多く、時には、同じ本を買うだけでなく、読み終わってから、「待てよ!確か前に読んだなと」本棚を探して見つけることも何度かある。歳は取りたくないものだ。小説だったら重症だが、ちょっと難しい、仏教書や思想ものなので、再読したと思えばと、自分で自分を慰めています。

 谷崎のものはほとんど読んだことがなかったが、この文章は味がある。谷崎の時代に既に日本の照明が明るすぎると歎いている。中世から江戸時代まで、日本文化は陰翳を大事にしてきた。住宅の屋根、ひさし、縁側、障子、床の間、等々。現在のように何もかも照らしすぎては、これらの繊細な陰翳を味わうどころではない。
 漆器の金箔や能衣装、はては女性のお歯黒(鉄漿)や眉をそった顔など、ろうそくやろうそくや薄明かりの中でこそ見るべきものがあるとの見解、なるほどと今更ながら、感心した。
 
 陰翳のことだけでなく、風呂や厠のことも書いている。風呂ののタイル張りは現代人もあまり好きではないだろうが、トイレは木製がいいとか、今となっては、時代遅れ、時代錯誤的とも(若い人が読めばなおさら)思えますが、日本及び日本文化の本質を突いた鋭くかつ面白い分析だと感心しました。

 神戸に2年住んでいた時に東灘区の住吉川沿いにある谷崎の住まい(「倚松庵」)を二度程見に行ったことがある。確か細雪の舞台になった住まいだったと思うが、文豪作家の清楚、閑静な住まいだなとの印象が残っている。陰翳礼讃の中で書いているような考えであの家を建て、住んでいたのだなと思い出して納得した。

 陰翳礼讃を読んでみようと買ってあったのは、確か、松岡正剛の「花鳥風月の科学」(中公文庫)を読んだからだと思う。
 松岡正剛という人は、立花隆とは違うタイプの現代の博覧強記の人物ですが、インターネットで「千夜千冊」とかを連載しており、一日一冊を読んで読後論をインターネットに書いているという、なかなかすごい人です。
 
 今、彼の書いた「ルナティクス」とか「遊学Ⅰ」等を読んでいる、あまりにも博覧過ぎてちょっとついていけない感じもあり、今、途中でストップしています。

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)