『伊那谷の老子』

 中野孝次の『「閑」のある生き方』(新潮文庫)の中で紹介され、また、またその中で多く引用されている加島祥造の『伊那谷の老子』(朝日文庫)という本が気になっていた。そのうち買って読もうと思っていたが忘れていた。書店でbook watchingしていたら偶然目にとまった。この本だったのかと早速読んだ。
 中野さんの『「閑」のある生き方』同様、若い人や、現役で働いている人にはあまり感動や興味を与えず、また実感が湧かない方も多いかと思う。(しかし中野さん曰く、少なくとも四十代くらいからは老子の言葉にも耳を傾けたほうが良さそうです。⇒ワシもそう思う)
 
 私のごとく退職したり、退職を間近に迎える方は、この本を読んで何かしら感ずるところ大なのではと思う。
 老子の言葉は、「上善は水の如し」「和光同塵」「大器晩成」などいくつかは耳にも残り、解説本などにより多少のことは分かっていた気になっていた。しかしこの本を読んで、「老子」は世界中で聖書に次いで多く英訳された本だということを知った。その英訳本は日本の漢文読み下し文、またその口語訳よりはるかにわかりやすく英訳しているという。その英訳本を加島祥造さんが、更にわかりやすい、日本語自由訳を試みたというものです。
 本の中から、いくつかの章を抜き出しましたのでご鑑賞下さい。

 老子の心境とはほど遠い俗人Henryですが、老子の心境に少しづつ近づけたいと思うこの頃であります。

伊那谷の老子 (朝日文庫)

伊那谷の老子 (朝日文庫)

       
「閑」のある生き方 (新潮文庫)

「閑」のある生き方 (新潮文庫)

 私も近々、英訳本の『老子』([The Wisdom Of Lao-Tse] か[The Way and It's Power] を読んでみたいと思っています。

                                                                                                                      • -

川は流れてゆくにつれて
いくつもの谷の水を集めてゆく。そしてそれが
大河となった時は、いわば
百の谷、千の谷の親玉なのだ。
だがね、こうした親玉の大河になったのも
その川がたえず低く低く流れたからなのだ。
そして海が大河さえのみこむのは
さらに低いところにあるからだ。
このようにタオを深く意識した人は
もし上に立ってリードするとすれば
言葉や態度を低くし、謙遜したものにする。
部下たちを先にたてて、自分はあとからゆく。
だから人たちは彼を重苦しく感じないし
自分たちの邪魔とも思わないのだ。
むしろ喜んで彼を押したて
けっして厭がらないんだ。
争わない人だと知っているから、
誰ひとり、その人と争おうとしなくなるんだ。
            〈第六十六章〉

                                                                                                                      • -

最も深く道(タオ)を貫くmovementは何かと言えば
returningなんだ。
re-(再び)turn(転じる)
そしてこの動きのいちばんの特徴は
優しさなんだ。
柔らかさなんだ。
水のような柔らかな動きなんだ。
そして、どこヘturnしてゆくかー
あの非存在へ、だ。
あらゆるものは確かに存在しているのだが、
(そしてそれが「有」の世界だが)
そういう「有」の状態自体は
「無」のなかから生まれるのだとしか言いようがないじゃないか。
                   第四十章

                                                                                                                      • -

無為とは、なにもしないことじゃない
誰も、みんな、
産んだり、養ったり、作ったりするさ、しかし
タオにつながる人は
それを自分のものだと主張しない。
熱心に働いても
その結果を自分のしたことと自慢しない。
頭に立って人々をリードしても、
けっして人を支配しようとはしない。
頭であれこれ作為しないこと、
タオに生かされているのだと知ること、
それが無為ということだよ。
なぜって、こういうタオの働きに任せた時こそ、
ライフ・エナジーがいちばんよく流れるんだ。
これがタオという道の不思議な神秘のパワーなんだ。
                 第十章