久伊豆神社-その1

以前岩槻の久伊豆神社に行った。地図を見ると久伊豆神社があちこちにある。インターネットTで調べたら、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社で、祭神大己貴命大国主)である。久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している、という。野与党?・・・与野党?なんだこれ。今度は“野与党”を調べる。以下の通り。

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.野与党(のよとう)とは、
武蔵七党の一つで、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、武蔵国南埼玉郡北埼玉郡(現・騎西町付近)の野与庄を中心に勢力のあった武士団である。足立郡比企郡などにも同族がいた。桓武平氏平忠常の弟・胤宗の子基宗のを祖とし、23家に分かれている。

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 それがどうした。ま、暇人だからこんなことまで調べられるのだ。息子に言わせれば、そんな暇あったら、まだ働いて、金稼げるんじゃないのということになるのだが、「金持ち」より、「時持ち」「こころもち」の方が楽しいことが多いと思う。

 脱線したので久伊豆神社に戻ろう。この久伊豆神社、音読みすると「くいず」と読めることから、第11回アメリカ横断ウルトラクイズ(1987年)の第二次予選会場として岩槻久伊豆神社が選ばれた。その影響で知名度が高まり、近年クイズ番組での優勝祈願に訪れる者も増えているという。
 今回はいくつかある久伊豆神社の中で、これも由緒ありそうな越谷の久伊豆神社に行った。樹齢250年の藤の木が時期であればさぞかし立派だろうと思わせる枝振りであった。


 小さな池の中に弁財天を祀る小さな朽ちた鳥居も趣がある。その池の周りの大木が藤に巻きつかれて死木となっている。なにか藤の木に“抱き殺し”されたようだねと妙齢さんたちと冗談を言い合った。
 本殿脇の狛犬に目をやると、狛犬の前足2本がわらのようなもので縛られている。後で神社の由緒書きを読んだら、「足止め」ということで、家出したものや悪遊び?で家に戻ってこない、よりつかない家族などを呼び戻すための願掛けの意味があるようだ。神様に色々なお願い、祈りを様々な形で表現されているところも面白いと思った。

 歴史と風格を感じる立派な神社で境内も綺麗に整備されて気持ちの良い神社だった。ただ、前埼玉県知事の奉納?の石碑などがあって、この神社の立派さの裏に政治の臭さが多少感じられたことがちょっと気になった。神社、寺、どちらも余りにも綺麗に整備されていたり、最近建てられたような、立派なお堂や石碑などがあって綺麗過ぎると、かえって俗な感じが臭ってしまってあまり好きになれない。とはいえ、それは勝手な信仰心の薄い愚民の考えること。寂れて今にも朽ち果ててしまいそうな、小さな、神社、寺を見るのは哀しい。「村の鎮守の神様」と「寺の和尚さん」にもっと元気になってもらって、地域に密着した“日本人のこころの休憩所”として復活してもらいたいと願っている。

 紅葉の時期にはまだちょっと早かった。もみじ、銀杏の紅葉の時期、桜の時期にはもっと庭園を楽しめそうだ。