高野山参りその3

 朝のお勤めを済ませ、朝食をいただいて、宿坊を後にする。まだ見ていない金剛三昧院のひなびた多宝塔を見て、刈萱堂にまわる。知らなかったが、浄瑠璃謡曲で800年もの間語り伝えられてきた石堂丸物語が絵草子のようなスタイルで掲示されている。
 宿坊の一軒一軒の庭、風情を味わいながら歩くのは気持ちがいい。途中、寺、宿坊の間に、交番がある。正式には、橋本警察署高野幹部交番と呼ばれ、昭和8年に新築されたものだという。高野山にふさわしい雰囲気と風格のある交番だ。何故幹部交番というのか分からない。普通の交番より大きく立派だったことは確かだ。少し偉い警察官が駐在していたからだろうか。
 <高野山幹部交番>
 この漫画の看板がなんともアンバランス!
 警察の脇を少し入ったところに光台院というお寺があり、ここの十一面観音が見たかったのだが、一般には公開されていないようだった。南院、波切不動、徳川家霊台を見て、緩やかな坂道を登り女人堂に向かった。この女人堂ご承知のように高野山はかって女人禁制だったのですが、その女人禁制が解かれたのは明治5年(1872年)だからそう昔のことでもない。女人堂創祖小杉大明神という小祠があり、女人堂を建てた小杉という数奇な運命を辿った「聖女小杉」の物語があったということは、帰ってから高野山を復習して分かった。




 ← 女人堂
 女人堂から戻って、金剛峯寺に行った。歴史の授業で「比叡山延暦寺」「高野山金剛峯寺」は対のようにして憶えてはいたが、初めての参詣だ。さすがに、真言宗大本山、本堂内の襖絵や枯れ山水の庭が立派だった。
 
 前日、大伽藍の「三鈷の松」を見損なったので再度大伽藍を見に行く。空海が中国の明州の港から投げた“三鈷杵”が遠く飛来し、この松の枝にひっかかり、光明を放って、空海をこの地に導き、開山を決意させることになったという、伝説の松だ。妙齢の4,5人のおばさんグループが松の落ち葉を探している。これも復習して分かったことですが、四葉のクローバーならぬ、三つ葉の松葉を見つけると、“開運厄除”のお守りとして大切にする信仰が古くから伝承されているという。また行く機会を作りたいと思うが、今度行った時は三つ葉の松を探そう。今更、開運厄除は手遅れかな。
 かんじんの高野山の入り口、“大門”には行けなかった。空模様が怪しくなってきたのと、一応一通り高野山巡りはできたので早めに下山した。小一時間もたたないうちに一気に平地の市街地に戻る。更に1時間、大阪の大都会難波に着く。タイムスリップして別世界に行って、そこから戻ったという感じだ。私のような感受性の鈍い人間でもこの落差には驚く。京都洛北の寺から街中に戻ってもこういう感じはしない。高野山独特のものだろう。
 空海は若い時に各地の山中修行をしていて、そういう時からこの高野山に目をつけていたのだろう。日本では類例を見ない宗教都市なのではないだろうか。春桜の頃にまた行ってみたくなった。