「袖擦り合うも“たしょう”の縁」最近、あまり使われなくなったけどいい言葉だ。ところで、皆さん“たしょう”の縁、正しい漢字がお書きになれるでしょうか。私も一瞬あれ?と考えてしまいました。PCで変換すると、多少、他生、多生とでてくる。多少は誤りですが、他生も使われるそうだ。
この言葉が使われなくなったということは、そういう人間関係が減ってきたということだろう。擦りあう縁、人間関係を大事にしたいと思う。
玄侑宗久さんの「多生の縁」という本を読んだ。あらためてこの言葉の意味を知った。良い言葉だと思う。
『これは凄い言葉で、たった今袖を擦りあった「今生」とは別な生が前提にされている。しかも「他生」は本来は「多生」だといい、連綿と続いてきた幾つもの生のどこかに、今日袖を擦りあうことになるべき因があったと考えるのである。』と冒頭で述べている。
ところで、袖を、「擦りあう」のか、「触れ合う」のか、「振り合う」のか、気になって家にある国語辞典を6つほど調べてみた。
辞書によってまちまちだ。「触れ合う」は「擦りあう」に同じと書いているものもある。結局どれでもいいようですが、どうもすっきりしない。「触れ合う」よりも「擦りあう」方が艶っぽい感じがする。
京極夏彦、山折哲雄、松原泰道、梅原猛、立松和平、五木寛之他の方々との“多生の縁”によっての対談が素晴らしい。
いろいろな方との知的対話を楽しませてくれるいい本でした。
- 作者: 玄侑宗久
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/03/24
- メディア: 単行本
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