野口雨情記念館と童謡

 いわきからの帰路、海沿いの6号線を南下、勿来を過ぎた磯原という所に野口雨情記念館がある。野口雨情のことは藍川由美の「演歌のススメ」という本で少しは読んで関心があったのですが、ここが生地とは知らなかった。
 野口雨情は、先日ブログに書いた「証城寺の狸囃子」や「七つの子」「赤い靴」「船頭小唄」「シャボン玉」「波浮の港」など、耳に残っている数々の名曲を作詞している。

(画像を取り込んで拡大すれば、「七つの子」の説明が読めると思います)
 一週間前に、妙齢友人から「童謡の謎」(合田道人)という本を紹介された。「シャボン玉」や「かごめかごめ」など、童謡の歌詞には色々な謎がある。いくつかの童謡については、他の本でも童謡の謎について読んだことがある。この本は、元フォーク歌手が童謡の歌詞に疑問もち、童謡の歴史や、意味のわからない点を調べて本にしたものです。
 童謡などはここ何十年も歌ったことはない。小さい時はなんの疑問をもたずに歌ってきて、意味を考えたことなどなかった。野口雨情の「シャボン玉」などは単純に<シャボン玉>を詠ったものとしか考えなかった。野口雨情は最初の子を8日目で亡くし、もう一人の恒子という娘も満2歳で亡くしている。「シャボン玉」の“生まれてすぐに こわれて消えた・・・”や“屋根まで飛んで、こわれて・・・”は、雨情のそういった子供に関る心情が詠い込まれているという。
 「七つの子」も、からすは一度に3羽か、多くて4羽しか雛が生まれないという。また、なんで7羽ではなく「七つ」なのか、七つ=七歳とすると、からすの寿命が4歳までしかないのでこれもおかしい・・・。
 「七つの子」も含め、雨情の童謡の詩には深く考えられた“意味”が込められている。
 あらためて、他の作詞家、童謡作家の明治、大正、昭和初期の作品を読んでみると、日本語の言葉の美しさ、情緒、を味わうと同時に、当時の時代背景の中で、詩にこめられた詩人達の思想、信条等を読み取ることができる。
 当時のすべての童謡が素晴らしいとは言えないだろうが、今の幼稚園、小学校でどのくらい歌われているのだろうか。