勉強する

 朝のTBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイドで「勉強する」=おまけをする、という言葉が死語になりつつあると話していた。どこから“おまけをする”が出てきたのか気になって、早速辞書を調べた。どの辞書も商人が値引きをする、安くするという説明はあるがどうしてそういう意味でつかわれるようになったか、ほとんどの辞書は説明がない。角川の「必携国語辞典」(大野晋編)だけが、「物事に励む、努力する意味から」と説明があった。
 辞書を引いているうちに、やはり、新明解がユニークな説明をしていた。以下、辞書から転記。

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―する 〔そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる意〕  
(二)現在素直にありがたいとは言えないが、将来の大成・飛躍のためにはプラスとなる経験。
「いい―になった/何もかも―〔=試練〕だと思ってやるんだね」
(三)利益を無視して、商品を安く売ること。
「もっと―出来ないか/これで―になっています」〔(三)は俗用〕      三省堂新明解国語辞典 第五版』より

“そうする事に抵抗を感じながらも”とか、“現在素直にありがたいとは言えないが”という説明がなんとも味わいがある。

 こういう日本語は死語にせずに何とか残していきたいものだ。

 私の実家は魚屋だったので親父や兄貴がよく“勉強”していた。ほとんど配達専門の私は“勉強する”権限はなく、もっぱら学校の勉強を、“そうする事に抵抗を感じずに、素直にありがたいと思いながら、将来の大成・飛躍のためにはプラスとなる経験”と思って続けてきたが、末は博士の夢破れ、大成、飛躍はなかった!