「神仏のすみか」(梅原猛対論集)

 日高敏隆の著作を検索していたら、上記の本が目にとまった。梅原猛中沢新一松井孝典日高敏隆と“神仏のすみか”と題して対談している。松井孝典(たかふみ)は知らなかったし、本も読んでいないが、惑星物理学者ということで梅原猛とどういう対談をするのか興味があった。中沢新一日高敏隆とどういうテーマを語り合うのか面白そうなので、図書館で借りて読んでみた。
中沢新一とは、白山信仰、泰澄について、シヴァとディオニソスアイヌと縄文・北の民と南の民など想像力豊かな二人の碩学の対談が素晴らしい。井筒俊彦の「神秘哲学」、西田幾多郎の“悲哀の哲学”(西田哲学は“哀しみのロマンティシズムだと語っている。)、鈴木大拙の「日本的霊性」などにも話がおよび、知的興奮をおぼえる対談だった。
松井孝典とはヴェーゲナーの大陸移動説の話、柿本人麻呂論、あの世論−時空論など今までの梅原猛の著作にはなかったテーマについて対論している点に興味をひかれた。
 松井との対談の中で面白いところがあった。
“生物学的意味ではあるが、現生人類にしか「おばあさん」なる存在はない。一般に哺乳類のメスは子供を産めなくなると、数年以内に死ぬという。哺乳類の「おじいさん」は子供を作れるから!?生き延びている? 人類のおばあさんは子供を産めなくなっても、生き延び、若い母親の育児負担も軽減した。・・・かくて、おばあさんは強くなり、長生きし、・・・人類の人口は増加の一途をたどってきた。”ということらしい。
日高敏隆とは、ダーウィンの進化論、リチャードドーキンスの「利己的な遺伝子」などに言及し、語り合っている。日高敏隆は動物行動学の学者なので、万葉集の中に出てくる動物を調べると、蝶々が全く出てこないそうだ。なぜなのか、蝶は人間の悪霊がなったものと考えられたからだという。聖書にも蝶々は出てこないようだ。万葉集も聖書もつまみ読みしかしていないので知らなかった。
 日本人のあの世観、往相回向、環相回向などについて語り合い、魂の不死、遺伝子の不死などについても語っている。日高敏隆が翻訳したユクスキュルの「生物から見た世界」の内容にも触れて、ユクスキュルの見る世界は、仏教の空の世界に近いという指摘にも感心した。
 この梅原猛の「対論シリーズ」は何巻あるのか、他にどんな方々と対論しているのか、他のシリーズを読んでみたくなった。